安倍元首相の国葬時に「国葬令は失効しているから」とか「国葬令は廃止になっているから」という理由で国葬に反対!という意見も多かったですね。
確かに法治国家である日本では、法的根拠というものが重要視され、国葬を行うにしても法的根拠は何になる、という話になるのもある意味自然です。
ただ葬儀という観点で見ると、法では計り知れない、過去から現在にいたるまでの習慣や人それぞれが抱く感覚みたいなものもあり、何が正しく何が正しくない、というのは一概には言いづらいところもありますね。
ここではことあるごとに反対の理由の1つとしてあげられる「国葬令」の失効理由や廃止となった経緯を調べてまとめました。
国葬令の失効理由
国葬令の失効理由では、そもそもいつどのように失効となったかを見ておきましょう。
日本における国葬令は、今は昔、約100年前ともなる1926年(大正15年)に制定された大日本国憲法(旧憲法)における勅令の1つ。
この大日本国憲法は、明治22年(1889年)に公布され、翌23年(1890年)に施行。その後第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)に公布された日本国憲法へと移っていきます。
戦後、新憲法となる日本国憲法が施行されるとき
「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」
というものが定められ、その第一条で
旧憲法(大日本国憲法下)で定められた勅令(今回で言えば国葬令がその1つ)などは以下のように対応するとなってます。
新憲法下の法体系では法律で制定すべきレベルに相当するものは、新憲法下にあっては原則として1947年12月31日まで法律としての効力を有する
つまり旧憲法下で定められた勅令の1つである国葬令は、1947年12月31日をもって効力を失う(失効する、廃止となる)ということになりますね。
またこの第2条では
「勅令」とあるのは「政令」と読み替えるものとする
という内容もあります。
現在の法律規定の中にもこの「勅令」の文言が残っているものもあるようですが、
勅令とは天皇陛下の命令という意味になり、第二次大戦後の日本で定められた日本国憲法(新憲法)では、天皇陛下は国の政治とは独立して象徴となったことから、
- 勅令自体がなくなった、
- だから憲法が切り替わる時に有効期限を設け、必要であれば政令として改めて定める
という位置づけだったようです。
なぜ国葬令が失効したか、廃止となったか。
その理由は一言で言えば
「勅令だったため、旧憲法から新憲法に移行する間に有効期限が切れた」
ということになりそうです。
一部メディアの報道で「廃止された」という表現が使われてますが、
(例えばこちらの記事「安倍氏葬儀「できれば国葬で」 発表前日に首相指示―自民議員背中押す・急転直下の舞台裏」)
廃止というと、何か問題があり、ある意図をもって削除された、というような感じを受けますが、それとはちょっと違い、単に「有効期限が切れた」、期限が来たので「失効した」、というのが正しそうです。
これだけで見れば、何か法律的な問題があったから国葬令はなくなった、ということではなさそうですね。
なぜ国葬令を定めていないのか
では国葬令が失効した後、なぜ改めて法律(政令)で定めなかったのでしょう。
そもそもこの「国葬令」とは旧憲法下ではどういった内容だったのかを見てみると、中野文庫 – 国葬令によれば原文は以下になるようです。(漢字は現在風に分かりやすく書き換えているようですが)
国葬令(大正15年勅令第324号)
- 第一条 大喪儀ハ国葬トス
- 第二条 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及摂政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ国葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
- 第三条 国家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ
2 前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣総理大臣之ヲ公告ス - 第四条 皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廃朝シ国民喪ヲ服ス
- 第五条 皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣総理大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム
何とか読める、意味も何となく分かる、という感じですが、
注釈含めつつ分かりやすくすると、大体以下の内容になるでしょうか。
- 1)大喪儀(たいそうぎ)は国葬とする
(大喪儀は、天皇・皇后・上皇・上皇后・太皇太后・皇太后の葬儀のこと) - 2)皇太子や皇太子妃、皇太孫・皇太孫妃(皇位を継承すべき天皇の孫とその妃)、及び(君主に代わって政治を執り行う)摂政である親王、内親王と王女王(王女王というのが良くわからない)の葬儀も国葬とする。
但し、皇太子、皇太孫が七歳未満で亡くなった場合には、この限りではない。 - 3)国家に多大なる貢献をしたもの(偉勳アル者)が亡くなった時も国葬とすることもある
- 4)皇族ではない者の国葬では、国葬の当日天皇は政務から離れ国民は喪に服す
(皇族でない場合の国葬では、天皇は喪に服す、というのではなく、それに準じるような感じで政務から離れる、とされているようです) - 5)皇族ではない者の国葬では、内閣総理大臣の判断を経て行う
(内閣総理大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム)
こうしてみると、旧日本国憲法化で定められていた国葬令というのは、皇族の場合と、皇族ではない場合の2つの国葬について規定されているものになるようです。
※)国立公文書館デジタルアーカイブにある国葬令の原文では(最後の方が切れているようですが)、天皇のお名前や内閣総理大臣(若槻礼次郎)や陸軍大臣(宇垣一本)など各大臣の名前が具体的に入ってますが、内容的には同じもののように見えます。
勅令第三百二十四号
朕樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ国葬令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
嘉仁 裕仁 内閣総理大臣 若槻礼次郎 陸軍大臣 宇垣一本 海軍大臣 財部彪 外務大臣男爵 幣原喜重郎 文部大臣 岡田良平 内務大臣 濱口雄幸 遞信大臣 安達謙蔵 司法大臣 江木翼 大蔵大臣 片岡直温 鉄道大臣子爵 井上匡四郎 農林大臣 町田忠治 商工大臣 藤澤幾之輔 大喪儀ハ国葬トス
皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ国葬トス
但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
国家ニ偉勳アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ
前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣総理大臣之ヲ公告ス 皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廃朝シ
旧日本国憲法下で定められていた国葬令が廃止(有効期限切れ)になった後、大喪の礼(天皇または上皇の葬儀)としては、1947年の新日本国憲法と交付と同時に交付された皇室典範の第25条「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」(天皇又は上皇の国葬)に吸収され、でも皇族以外の国葬については取り残された(定める必要性がなかった、または定めることに対して何か障害があった)ということになるでしょうか。
日本国憲法の20条の3には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあり、これに抵触すると考えて改めて法律で定めることをしなかった、ということになるかもしれません。
天皇は別格だから、ということで皇室典範に天皇に関する部分に吸収されたにしても、新憲法が公布された1947年はまだGHQ(マッカーサー最高司令官率いるの連合国軍最高司令官総司令部)の影響が色濃く残る時代。
具体的に見れば1947年では、GHQは日本に対し「帝国」の使用を禁止したり、その翌1948年には東京裁判でA級戦犯に対する有罪判決、1950年にはマッカーサーにより日本共産党中央委員が公職追放されたり、1951年にはサンフランシスコ講和会議、といった時代。
GHQの解体は新憲法公布の5年後となる1952年(昭和27年)。
こうした時代、天皇は新憲法においてその第1条に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められた別格であり、だから旧憲法にある国葬令にあった天皇に関する部分は皇室典範に吸収された。でも、天皇以外は時代背景からそもそも国葬ということを仮に定めたくてもそうすることが出来ない時代だった、とも考えられそうです。(東京裁判(1946-1948)が行われていた時代ですし)
国葬となった例から考える
国葬令が失効となった後、日本国憲法下において皇族以外で国葬が行われた例はただ1つ、1967年の吉田茂(元内閣総理大臣)のみ。(葬儀委員長は佐藤栄作。場所は日本武道館)
東京裁判から約20年後のこと。
その後の元総理大臣としては、佐藤栄作(1975年:国民葬)、大平正芳(1980年:内閣・自由民主党合同葬)、岸信介(1987年:内閣・自由民主党合同葬)と国葬ではなく国民葬とか合同葬へと続きます。
参考)
日本武道館で行われた吉田茂元首相の国葬(1967年・昭和42年)。
戦後、首相としては初となった国葬、その様子をとらえた貴重な映像
※音声は一部のみ
吉田茂元総理の国葬では、上の方で見た日本国憲法20条の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」がやはり問題とされたようですね。
これを受けて、多分ですが、その後、国民葬を...というのはまた誰かにいろいろ言われる、みたいな、ある意味保身的な側面もあり、国民葬とか合同葬になっていったのでしょうか。
法律のことはよく分からない筆者から見て、この日本国憲法20条の条文は、
国が特定の宗教、または宗教団体に影響あることをするのは(ある思考・思想に偏重する危険性があり)国が危険な状態に進む危険性があるため、してはいけない、
とされているように見えます。
(危ないから国が特定の宗教に加担するな!っていう感じでしょうか)
でも一方では、皇室典範では大喪の礼が規定され、それ以外はこの20条により規定がされない、ということであれば、何か片手落ちというか、バランスが悪いようにも見えそうです。(憲法は基本方針をうたい、例外や特殊なケースなど詳細は法律で決めるものだと思いますし)
国葬は民主主義に反する、という声もあるようですが、
民主主義の国は?というとアメリカがその代表的な国として挙げる人も多いと思います。
アメリカには天皇という立場の人はいませんが国葬を行う場合がありますね。
こうしたことから、国に大きな影響を与えた人が亡くなった時、その方がいなくなったことを悼みまた敬意を表する機会ともなる国葬ができるような法律を作っておけばよいのでは、とも思います。
(憲法の基本方針をくんだなかで法律で特殊なケースを決めておく)
何をもって国葬とするかの基準は数値化できないところでもあり、そうした時には期間限定の専門委員会、特別委員会を設置して、10日間や20日間議論をしてもらい、その結果を時の内閣に提示する。その内容を見て内閣で閣議決定するなどプロセスを踏めば良いのでは、というのも1つの案になるのかも。
特に国内だけでなく海外から弔問客が多い、しかも要人とされる方が多く集まる、といったことが予想される場合には、国葬という形で対応するようなことは考えておく必要はありそうです。
国民葬で良いのでは、そもそも国葬と国民葬は大体同じようなもの、というお話もあり、違いは国家が主体になれば国葬、そうではないけど国全体で、となると国民葬、という感じでしょうか。
(国葬は国費で行われる。国民葬は一部遺族が負担する、ぐらいの違い)
安倍元首相の国葬では、総理大臣としての任期が第1次政権、第2次政権通算3188日、憲政史上最長という点を国葬の1つの理由とされていると思いますが、つまりこれで言いたいのは、それだけ総理大臣としてメディアに登場する機会も多いし、つまり、広く国民に知れ渡り影響力も大きい、ということになるでしょう。
参考)
安倍内閣が総辞職 連続在任最長、2822日で幕(日経 2020年9月16日)
その最後が悲劇的、ショッキングで日本国内に大きな衝撃を与えた、という特殊性もあり、また対外的な面(外交面)も含めて考えた場合、国家が主体となり執り行う国葬が相応しいと判断され、結果、国葬で、ということで閣議決定された、ということになるのかも。
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