キング・カズ三浦知良の静岡学園高校時代の成績がない?中退してブラジルへ渡りプロの世界へ




サッカーファンなら当たり前、サッカーをよく知らなくても「キング・カズ」、と聞けば、50歳以上になっても活躍する三浦知良選手を知らない人はまずいないでしょう。

高校サッカーで静岡学園の名が出てくると、関連してカズの名前も出てきますが、カズは静岡学園出身だったんですね。

では高校時代の成績はどうだったのか、ふと疑問に思い調べてみたら、これがぶっちゃけびっくり仰天(笑)

高校時代の成績がない?

少し古い話になるので、高校時代からプロに上がるころまで含めて、キングカズ選手のプロフィールをサクッとおさらいしてみました。

  • 名前:三浦知良(みうらかずよし)
  • 愛称:ご存じ、キング・カズ
  • 生年月日:1967年2月26日(現在:53歳)
  • 出身:静岡県静岡市
  • 高校:静岡学園
  • 身長177cm 体重72kg
  • 在籍:横浜FC
  • ポジション:FW
  • 利き足:右

既に50歳を超え、でもなお現役を続ける超人的ともいえるキングカズ選手ですが、高校時代はどんな成績を残してたのかが気になり、改めて調べてみると...なんと、静岡学園は1年生の終了を待たず8か月余りで中退してるではありませんか!(笑)

高校で何か物凄い成績を残していそうな感じがしましたが、高校入ってすぐ中退、そしてそのままブラジルに単身渡ってしまったんですね。(当時Jリーグなんてなかったし)

ブラジルに渡るまでのサッカー歴を調べてみると以下のような感じ。

  • 1973-1979:小学校時代)城内FC
  • 1979-1982:中学時代)城内中学校
  • 1982:高校時代)静岡学園高等学校
  • 1982-1986:高校時代)CAジュベントス

城内FCは、静岡城内フットボールクラブと思いますが、こちらは静岡市立葵小学校(旧・静岡市立城内小学校)を拠点に活動しているサッカークラブ。カズさんは小学校は静岡市立葵小学校だった、ということになるでしょうか。

そして、中学は城内中学、その後、静岡学園へ入学し、入学したその年の12月に中退して単身ブラジルへ渡った、という流れのようですね。

となると高校時代の成績は?

静岡学園では1年を待たずに中退してブラジルに渡ってしまったので、静岡学園での成績は分かりませんでした。(多分、ない、ということになると思います)

その後、ブラジルのクラブに所属しますが、ブラジルでは以下のような変遷でクラブに所属したようです。(物凄い変遷ぶり)

年齢所属クラブ成績など
1982-198415~17歳CAジュベントスブラジル・サンパウロ州のCAジュベントスに所属。プロのサッカー選手にはなれそうもない、との評価をされていた辛い時期。
198417歳キンゼ・デ・ジャウー秋ごろ、キンゼ・デ・ジャウーに移籍。夢をあきらめて日本に帰国することを考えたこともある、どん底の時期。
198518歳キンゼ・デ・ジャウー静岡放送主催の国際ユースサッカー大会(SBSユース)にキンゼ・デ・ジャウーメンバーとして参加。(優勝は静岡選抜)
198619歳キンゼ・デ・ジャウー1月のサンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ (U-21) に日本人として初出場。
198619歳サントスFC2月にブラジル・サンパウロを拠点とするサントスFCと自身初のプロ契約!
198619歳SEパルメイラス5月にはブラジル・サンパウロを拠点とするSEパルメイラスと特別契約を結ぶ
198619歳SEマツバラ10月にブラジル・パラナ州のSEマツバラへレンタル移籍
198720歳SEマツバラ2月にブラジル・パラナ州のSEマツバラと正式契約。レギュラーとして南部三州リーグ優勝に貢献
198720歳クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル10月にブラジル・アラゴアス州のクルーベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)に移籍。レギュラーとして活躍し、ブラジル全国選手権へも出場

思わず20歳まで見てしまいましたが、こうしてみると17歳では挫折しかけ、でも18歳でSBSユースに参加。

プロになるサッカー選手は(全てとは言えないと思いますが)高校時代の成績も凄いものを残していることが多いと思いますし、それがキングカズ選手となれば、相当な結果を残しているのでは?と思いましたが、意外なことに「記録としてはない」というか「SBSユース」とそれに関連する結果のみ、ということになるのかも。

高校1年の時に、とっとと日本を見切って、というか、サッカーの本場ブラジルへ単身で突撃し、ハイレベルな選手がわんさかいる中に混じってサッカーを経験していった、というのは物凄いことですね。

ある意味無謀、というか、今のキング・カズと言われることから振り返れば、果敢な挑戦、という言葉に置き換えられますが、これが途中であきらめていたら、単なる無謀、世間知らず、とかの一言で済まされていたところかも。

SBSユースが1つの転機か

ブラジルに行った後、目まぐるしく所属クラブも変わり、でも転機は18歳の時に参加したSBSユースになるのかも。

このSBSユースは静岡放送(SBS)が主催する大会ですが、ここで当時所属していたキンゼ・デ・ジャウーの一員として静岡に凱旋する形になり(凱旋、というのは周りの評価で、カズ自身はそうは思ってなく、関心は日本のレベルと自分のレベルとの比較)、このSBSユースで後にゴン中山の愛称で活躍した中山雅史さん(高校は静岡県立藤枝東高等学校)、ヴェルディ川崎で一緒にプレイすることになる武田修宏さん(高校は静岡県立清水東高校)とも試合をしたようです。

ちなみに当時のSBSユースの大会について、後に三浦知良さん自身が語った動画があります。

SBSユースでは、静岡の高校選抜と戦って、日本の高校生選手よりブラジルの方が技術が高い、と感じたのだとか。この時このSBSユースの大会は3試合で、他にも、大阪、滋賀、佐賀、熊本なども回り、結果としてトータル10勝1分け。その1分けがSBSユースの3試合のうちの1つであって、これらの結果から自分のレベルが高いことが実感できたようです。

19歳から20歳ごろの活躍

そして(高校時代後になってしまいますが)19歳の時、つまり1986年ですが、キンゼ・デ・ジャウー ⇒ サントス ⇒ パルメイラス ⇒ マツバラ、そして翌年1987年にはCRB(クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル)⇒キンゼ・デ・ジャウー、と目まぐるしく所属クラブが変わってます。

こうした色々な環境にもまれ自分を試したことが礎となり、その後の活躍につながったのでしょう。

この頃の成績は以下のようです。

年齢所属クラブ出場得点
198619歳サントス20
198619歳パルルメイラス252
198619歳マツバラ51
198720歳CRB40
198720歳キンゼ・デ・ジャウー252

今ではJリーグというものがありますが、この頃まだJリーグは発足前の時代。(Jリーグは1993年に10クラブで開始された)

でもJリーグ発足が現実味を帯びてきており、そうした中1990年7月に当時のヴェルディ川崎へ移籍。そしてその後の日本における大活躍につながった、ということになります。

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今回のまとめ

今なお活躍し続けるキングカズこと三浦知良選手。

年齢的に見れば、毎年、今年が最後かも、ということをカズ自身もそうですし、見ているファンもそう思うところでしょうが、なんと2020年1月11日は、横浜FCの契約を更新したと発表されました。背番号は11。

びっくりを通り越して、もうなんていったら良いか分からない、という感じですが、Jリーグでは、1993年にMVP、1996年に得点王3度のベストイレブンに選ばれ、そして今では現役最年長プレーヤーにして、1993年のJリーグ開幕を経験している唯一の現役選手。

横浜FCはJ1昇格を決めているので、再びキングカズがJIの舞台に現れるのももうすぐとなるかもしれません!

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