小島被告の無期懲役が夢な理由は何?人格障害とはどんなものなのか

新幹線殺傷事件で小島被告に対して、横浜地裁で無期懲役の判決がでました。(2019年12月18日)

  • 刑務所に入っても反省、更生することはない
  • 有期刑(懲役何年という有罪判決)の場合には、出所後に再び人を殺める
  • 無期懲役を望む
  • 死刑でも控訴しない

などと語っていた小島被告は、人格障害の診断もあり、またそもそも検察が無期懲役を求刑していた、ということから、結果として横浜地裁は無期懲役の判決を言い渡した、という形になったようです。

無期懲役が子供のころからの夢、と語った小島被告ですが、なぜ無期懲役が夢なのか、人格障害とはどんなものなのか、少し見て行きましょう。

なぜ無期懲役が夢なのか

刑務所に入るのが子供のころからの夢、と語った小島被告。少年院にも入りたい、と言っていたこともあったようです。

少年院に入りたいといった理由は、どうもそこで教育を受けることを期待していたともいわれてますが、そこからすると、小島被告自身、世の中には正しい教育というものがあり、それを子供のころから自分は受けていない、だから今の自分になっている、それを正すには少年院、という考え方があったようです。

今回無期懲役の判決となり「刑務所に入っても反省、更生することはない」と語ってますが、少年院に入りたい、といっていた動機から、「もう更生することはないから死刑はいや(命は惜しいと語っている)、だから一生刑務所に閉じ込めてくれ」、と形が変わったのが今の主張のようです。

世の中には刑務所に入るために犯罪を犯す人もいますが、服役中は食事には困らない、医療も受けられる、といったそこに安定した生活、というのを見てのこと。そうした人は、出所後また犯罪を犯して刑務所に入る、という人もいるようです。

今回の小島被告のケースはそれとは明らかに異なり、刑務所に入るのが子供のころからの夢、しかも無期懲役、ということでは、刑務所といった一般の社会から一生隔離されたい、一般の社会の中に自分の居場所はない、そうした思いからとなるのでしょう。

ただこれが子供のころからの夢、となると、子供時代から社会に対して憎しみみたいな感情を極端に強く抱いていた、ということになり、これが人格障害と診断された結果にもつながりそうです。

死刑でも控訴しない、という理由は

死刑は嫌だ、無期懲役を望む、といっていた小島被告ですが、横浜地裁の判決前には、

  • 死刑でも控訴しない、
  • 死刑判決でもそれを受け入れる、
  • 死刑判決であれば(無期懲役といった夢は)あきらめる、

とも言っていたようです。

無期懲役を望むのであれば、死刑判決が出た場合控訴して、あくまで無期懲役となる方向にもっていくのが論理的思考、というものだと思いますがそうはしない。

小島被告の中では、自分に対する判断は一度だけ、2度3度するものではない、みたいな何か特殊な思いがあるのかもしれません。命が惜しい、無期懲役を望む、といいつつも、一旦、死刑、という判決が出たならそれが小島被告自身に対する最終決定、といった思い。

今回は検察の求刑が無期懲役だった、ということから、過去の判例を見ても、求刑以上の判決はほぼない、ということで、無期懲役が一番重い判決、ということになるのでしょう。

ほぼない、ということで言えば、求刑以上の判決ももちろんあり、たとえば、

  • 2012年1月盛岡地裁:岩手県雫石町立て籠もり事件:懲役14年(求刑懲役13年)
  • 2010年5月埼玉地裁:さいたま市強制わいせつ致傷事件:懲役8年(求刑懲役7年)

無期懲役の求刑に対して死刑判決が出た例もあります。(詳しくは「無期懲役求刑に対する死刑判決」の記事を見てみてください)

  • 1957年12月東京地裁八王子支部:強姦・殺人事件で27歳の男に死刑判決(求刑:無期懲役)
  • 1957年3月仙台地裁:連続強盗殺傷事件で死刑判決(求刑:無期懲役:控訴審で無期懲役)
  • 1947年7月秋田地裁:強盗殺人事件で20歳の男に死刑判決(求刑:無期懲役)

ネットで検索してみましたが、求刑が無期懲役に対して死刑判決が出る例については、ここで見るように結構古い事例しかなさそうです。

人格障害とはどんなものか

小島被告には人格障害がある、とも言われてますが、時事ドットコムの「人格障害は影響せず – 新幹線殺傷で鑑定医」の記事によれば、精神鑑定した精神科医が「被告の人格障害は殺傷行為に影響していない」と診断を下したようです。

診断結果は「猜疑(さいぎ)性パーソナリティー障害」というもの。(他者を信じないよう性格が著しく偏った人格障害)

生まれ持った特性や子供のころからの両親との関係を原因としているようですね。

そうした中で、今回の新幹線殺傷事件は、

  • 刑務所に入るために合理的に考えた手段であり、
  • 正常な心理状態で起こしたものとして人格障害は影響していない、

というのが医師の判断のようです。

この「猜疑牲パーソナリティー障害」とはどういったものかは新潟薬科大学の記事(pdf)にありますが、大きな特徴は、他人に対する不信と疑い深さで、この障害を持つ人の態度や言動としての特徴は以下のようなもの

  • 小さな指摘や注意に過剰に反応し、自分は否定されたと思い込む
  • 良心的に接していることに対して、自分をけなしているなど被害的に受け取る
  • 傷つけられた、軽蔑されたと感じたことに対して恨みを抱き続ける
  • 個人情報、プライベートな話をすることを嫌がる
  • 嫉妬深い、恋人や配偶者を根拠なしに疑ったり、所在や行動を細かく把握しようとしたりする

誰にでも当てはまることもありますが、こうしたことが普通以上に顕著にでる、というところが障害、といえることになるのでしょう。被害者意識が非常に強いことから、円滑な人間関係を築くことが難しいと言えるようです。

こうした障害を小島被告が子供のころから持っていたとしたら、人間関係が築けない、社会に溶け込めない、社会の中に自分の居場所はない、でも命は惜しい、だから居場所は刑務所の中しかない、という考えになったというのは考えられそうです。

その後の展開

今回の判決以降の展開は、普通であれば控訴して新たに争う、という形になるのでしょうが、小島被告の要望通りの判決となり、この判決で終わり、となるのでしょう。

関係者にはどう受け止めたらいいのか分からない判決となってしまった、というか、この判決は何を意味するのかがよく分からないものになってしまった、という感じですが、今後こうした事件が2度と起きないでほしいものです。

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