
ラオ先生は、中学生や高校生の受験に絞って完全無料の「映像授業コンテンツ」をユーチューブやTikTokに動画投稿して大人気。
その授業が分かりやすいと評判ですが、受験向けのコンテンツを配信してるとなるとどんな学歴や経歴をお持ちなのか、詳しく知りたくなっちゃいますね。
ということで今回はラオ先生の高校受験や大学、現在までの経歴を詳しく調べてみました
慶應関連youtuber)
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ラオ先生の学歴
ではまずはラオ先生の学歴から見ていきましょう。
小学校、中学校から高校受験まで
ラオ先生は後で見るように出身高校は「慶應義塾高校」。
慶應は小・中・高の一貫教育としても知られてますが、ラオ先生はいつの段階で慶應の道に入ったかを見てみると、小学校、中学校は普通の学校に行き、高校受験で慶應義塾高校へと進学してます。
この辺りは以下の動画でお話しされてますが、
実は慶應義塾高校は「滑り止め」で、本命は別の高校だったようですね。
ラオ先生は、小学校6年生から塾に通い出し、その塾の進学実績のトップが「学芸大附属高校」だったことから、当初は「東京学芸大附属高校」(国立)を目指していたようです。
そして中学も普通の中学校へ進学し、その中で猛勉強。
中学1年から2年、3年と上がるにつれてその成果も出て、偏差値も65、70、75と上がり(凄すぎる)、でも中学3年生の夏に、学芸大附属高校は「社会がめちゃくちゃ難しい」(平安時代初期の将軍、坂上田村麻呂の(何をやった人とかではなく)出身地はどこか、とか、メルボルンの標準時子午線は何度、とか聞かれるレベル(これはもう異世界レベル 笑))ということで路線変更。
第一志望を「開成高校」(東大合格率no.1)として、滑り止めで「早慶付属」にしたとのこと。
結果として、残念ながら開成高校には受からず、滑り止めの早慶付属高校(の内の慶應義塾高校)に進学した、ということになりますね。
あくまで2023年現在となりますが、各高校の偏差値を見てみると以下になるようです。
(参照:みんなの高校情報)
- (国立:東京)学芸大学附属高校:偏差値 77
- (私立:東京)開成高校:偏差値 77
- (私立:神奈川)慶應義塾高校:偏差値 76
ラオ先生は1998年生まれなので高校受験した年は2003年度になると思いますが、その頃とは多少は異なるにしても偏差値の数字だけ見れば「わずかな差」。でもそうした偏差値レベルの人たちが受験でしのぎを削るので、何かちょっとしたことで合否が変わってくるのでしょう。
ラオ先生は別の動画で、中学時代は学年トップの成績だったとお話しされてますが、そのレベルでも当時通っていた集団指導塾の「開成特別クラス」では最低点(ほかの人は60点、70点取る中、自分だけ28点)をとり、お風呂の中で泣いて泣いて「もう無理、辞めたい」と言うぐらいだったとか。
この動画を見ると、高校受験を目指していた当時、猛烈に必死、というか、何か想像を超えるぐらいの勉強をされていたようで、こうした経験が後の塾講師としての活躍やyoutubeなどの動画コンテンツ、今の塾経営に大いに活かされている、ということが言えそうですね。
高校時代
もともとの志望高の学芸大附属や第一志望の開成高校とは異なりますが、ラオ先生の出身高校は「慶應義塾高校」(男子校なのだ)。
第一志望の開成高校に合格できなかったことについてはどう思っているかは、動画でもお話しされてます。
第一志望の開成高校は、東大合格率がno.1とも言われ、ラオ先生が高校受験で目指す目標としては申し分ない、というところだったと思いますが、それに加えて校風(体育会や高校のマークなど)に憧れがあったようですね。
ラオ先生にとって高校受験で一番つらかったことは何かというと、実は勉強ではなく、第一志望に合格しなかったことで、意中の人とお付き合いできなかったことだとか(笑)
@lao_teacher 高校受験で一番辛かったことは?#先生 #質問募集 #質問答えます #中学生 #高校受験 #CapCut ♬ やってみよう – WANIMA
高校受験の一週間前に、なんとラオ先生、「ここの高校(開成高校)に受かったら付き合ってください」と告白されたようですね!
で、結果は落ちてしまい振られてしまったことが受験では一番つらかったこと、とニコやかにお話しされてますが、第一志望の高校に合格できなかったことを引きずっているかと言うと、動画の話っぷりや説明を見ると全然そんなことはないようです。
結果オーライ!みたいな感じですが、
以下の動画のように、慶応高校と(志望していた)開成高校の比較動画を出してるのも、そのあたりのことが伺えそうです。
この動画では慶應高校について、甲子園で優勝(高校野球)したことや、横のつながりが強い、大学受験がないので(慶応大学に進学の場合)高3まで部活をがっつりできる、など、そのメリットというか、実際ラオ先生が体験したことをお話しされてますね。
高校野球については、今年(2023年)の甲子園で優勝したことは記憶に新しいですが、ラオ先生も自身のx(旧ツイッター)で後輩の活躍に対して喜びをコメントで挙げています。
107年ぶりの慶應優勝、やった~~!!!
— ラオ先生 (@lao_teacher) August 23, 2023
大村くんをはじめみんなの楽しそうな顔、選手を包み込む応援、何があっても見守ってくれている監督、ここに結果を出すことの全てが詰まってると思う。
本当におめでとう!!!🎊#慶應義塾優勝 #甲子園2023
107年ぶりというのが慶應の歴史を感じますが、
優勝した瞬間、ラオ先生が「うぉぉぉ」と叫ぶ姿が目に浮かびそうですよね(笑)
部活もがっつりできる、というお話では、ラオ先生自身は高校時代は馬術部に所属していたようです。
ラオ先生の本名は「多羅尾光紀」(たらおこうき)と質問動画でお話しされてますが、本名で調べてみると、慶応義塾高校馬術部の公式ブログに多羅尾光紀さん(ラオ先生)の名前が載ってます。
慶應馬術部日記 【第50回関東高等学校自馬競技大会】出番のお知らせ
ここに「第2部班 5番 多羅尾光紀(塾高1年)」とありますね!
慶応義塾高校って略して「塾高」って表現するのは知りませんでした。高校に馬術部があることにも驚きですし(さすが慶應)、ラオ先生のお顔立ちで馬に乗る姿を想像すると、きっとりりしい感じでしたでしょう。
動画を探してみると、高校時代の馬術競技で、お、これはラオ先生だ!というのがあるようです。
これは慶應義塾体育会馬術部の公式チャンネルの動画。概要欄に「多羅尾光紀(塾高1年)慶凛号 得点率57.500%」と、ラオ先生のお名前が載ってますね。
2014年の動画ですが、この時ラオ先生は慶應義塾高校の1年生(16歳)。(ということは、ラオ先生は1998年生まれで2023年現在で25歳?!若い!)
馬術部だから当たり前のなのかもしれませんが、お馬さんに乗っている姿勢が良いですし、この年で馬を操れるというのも凄いですよね。(慶應だけにどこかのご子息、みたいな感じ)
高校時代は馬術部をがっつり楽しみ、そして大学へと進学したことになりそうです。
大学時代
ラオ先生の出身大学は高校含めてラオ先生自身が動画で紹介されてます。
高校卒業後は、慶應義塾大学の経済学部へと進学。
内部進学ということですが、
慶応義塾高校の多くの生徒が内部進学で慶應義塾大学に進むそうですね。
そう聞くと、慶應義塾高校に入学すれば慶應義塾大学に入学できる!と思ってしまいそうですが、高校受験のところで見たように、慶應義塾高校の偏差値は76。
第一志望の開成高校に合格できなかったとはいえ、そもそも(ラオ先生にとっては滑り止めの位置づけですが)慶応義塾高校に進学すること自体が超激戦。ラオ先生が優秀であることは言うまでもありませんね。
大学時代のラオ先生というと、ラオ先生は大学1年生の頃から塾講師を始めています。
この動画でラオ先生が塾講師の経歴をお話しされてますね。
経済学部だったからか会計士の勉強もされていたようで、月1万円ぐらいのお小遣いが欲しい、ということから最初はお小遣い稼ぎ程度のつもりで塾講師のバイトを始めたようです。(大学1年の時)
バイト先は、全国に1100以上フランチャイズ校がある大手進学塾ということで、それだけの規模となるとイットー(ITTO個別指導学院)あたりになるのかも。(ITTOの公式HPはこちら)
会計士の勉強が落ち着いたときに講師のとしての業績がグワっと伸び(自分が教えた生徒の成績が上がり、志望校への合格はなんと9割以上となり)塾の中で一番の高評価率で、次の年には「教室長」(先生たちのマネージャーの立ち位置)にもなったのだとか。
この塾のバイトは大学1年から始まり、個別指導3年目で教室長(大学3年の時ですね)、集団指導を1年と、慶應大学の学生時代を通して講師をされてます。(当時は学生であることを隠してバイトしていたのだとか(笑))
そして大学4年生時には、講師のアルバイトしながら就活するわけですが、塾ではSNS禁止だったようで、すでに大学3年からYoutubeを始めていたラオ先生はそのうち「先生がyoutubeに出てる」(笑)と生徒から言われるようになり塾を辞めることに。
これが結果として、ラオ先生が自分で塾経営することにつながるようです。
ラオ先生の経歴は?
ここまで見てきた学歴を含めつつ、
ラオ先生の経歴をまとめてみると、以下のようになりますね。
- 1998年:4月7日 ラオ先生が誕生!
———————————— - 2010年(12歳):小学6年生より塾に通い出す
(学芸大附属高校が目標となる) - 2013年(15歳):中学3年の夏に路線変更
(第一志望を「開成高校」、滑り止めを「早慶」)
(第一志望校に合格できず振られた ^-^;))
———————————— - 2014年(16歳):慶應高校に入学
(馬術部で活躍)
———————————— - 2017年(19歳):慶應大学 経済学部へ進学
(会計士の勉強をしつつ大学1年から塾講師のバイトを始める) - 2019年(21歳):大学3年生、史上最年少で教室長となる
(前年、大手の塾で全講師中で最高評価受賞)
(Yotubeを始める:2020年1月が初投稿) - 2020年(22歳):大学4年生、集団指導塾に転校
(Youtubeをやってることが分かってしまい1年で辞める)
———————————— - 2021年(23歳):TiTokを始める
(Youtubeチャンネル登録者数が伸びずあせるが、TikTokがパズる) - 2022年(24歳):「イーロン個別進学塾」を開校
(4月より塾経営者となる)
11月18日にはチャンネル登録者数10万人達成
ラオ先生はSNS禁止の塾で「youtubeに先生が出てる」と生徒が気付き始めたことから塾を辞め、「それなら自分で」ということで、2022年に「イーロン個別進学塾」を開校。(神奈川県横浜市青葉区すすき野)
オンラインではなく対面の個別指導塾ということのようですが、動画のお話からするとオンラインの集団事業の展開も将来像として持っているようですね。(実現が楽しみ!)
ラオ先生の塾では塾生の8~9割が動画視聴者で、指定校推薦狙いの生徒だそうです。一時集中ではなく長期戦で臨む受験を目指す生徒が多いのでしょう。
それもそのはずで、ラオ先生の塾は「勉強する習慣を支援する」という部分に力点を置いて、あえて一般入試を狙っている生徒は募集せず、個別指導のメリットを活かした指導方法を実践しているのだとか。
世の親御さんにとって「勉強する習慣を支援する」塾なんて理想的ですよね。世の親が子供に言う言葉ランキング(そのようなものはありませんが)常に上位の「勉強しなさい!」を言わなくて済むようになるかも⁈です。
人気講師から教室長と、塾講師としての才能が大学時代から花開いていたラオ先生ですが、実は大学卒業後は塾講師を続けるつもりは全くなく、普通の一般企業に就職することを考えていたそうです。
塾講師として華々しい経歴ばかりかというと、大手塾講師時代に開設したユーチューブも1年半近く再生回数が全く伸びず「にっちもさっちも行かない」という状態だったことから就職活動という言葉がちらついたのでしょう。
そんな時、マネージャーの「がみさん」が「TikTok撮るぞ」と突然TikTokを始め、最初の投稿1,2本でバズり、それに比例するようにユーチューブの人気も一気に上がって「就職をしなくて済んだ」とのこと。
ラオ先生の才能と時代の動きがリンクしたのでしょう。ここまで聞くとなるべくして塾講師になったといってもいいかもしれませんね。
まとめ
- ラオ先生は元々は学芸大附属高校志望。
中三の夏に開成高校、滑り止めとして早慶と方向転換した - 高校は慶應義塾高校で、馬術部で活躍
- 大学は慶応大学。
1年生の時からアルバイトで塾講師を始め、3年時にはその塾では史上最年少の教室長となる - Youtubeを始めるも登録者数が伸びず、にっちもさっちも行かない状況に。そんな時TikTokを始め見事にパズり、フォロワー、登録者数が伸びていくことに。
- 2022年には自分でも塾を開講
ラオ先生はルックスはさることながら、実力に裏打ちされた指導のわかりやすさから動画視聴する中高生や塾生にとって憧れの存在になりそうです。
これからの教育にはSNSというツールもさることながら、ラオ先生のようにフランクで、かつ、憧れられる存在が必要なのかもしれません。
ラオ先生は将来的にオンラインで広く教える構想をお持ちのようです。少子化対策が必須事項の日本ですが、これからの子供たちに、より濃度の濃い教育を提供していくことも必要だと思いますし、その一躍を担うのはラオ先生のような存在なのかもしれませんね。
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