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桜井政博の高校大学の学歴は?若い頃は何をしてたかも詳しく

桜井政博さんは「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」などを手掛けたゲームクリエイター。

天才とも評される桜井さんだけに学歴も気になりますし、今は知名度も抜群ですが若い頃は何をしていた方なんだろう、というのも気になりますね。

今回は桜井政博さんの出身高校や大学、若い頃は何をしていたか、詳しく調べてまとめてみました!

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桜井政博はどんな人?

まずは桜井政博さんのプロフィールを簡単にご紹介です。

  • 本名:桜井政博(さくらい まさひろ)
  • 年齢:53歳(2023年現在)
  • 生年月日:1970年8月3日
  • 出身:東京都武蔵村山市
  • 職業:ゲームクリエーター、ゲームディレクター、実業家、声優

参照)桜井政博-Wikipedia

桜井政博さんはゲームクリエーター、ゲームディレクターとしてすごく有名ですね。

2015年には「日本ゲーム大賞」において「経済産業大臣賞」も受賞されているようですし、2022年3月には「ファミ通・電撃ゲームアワード2021』でMVC(Most Valuable Creator)も受賞されてます。

当時の記事が以下にありますね。

ファミ通・電撃ゲームアワード2021”受賞まとめ(ファミ通.com)

後で詳しく見てみますが、高校は2つ通い、大学には進学せずに「ハル研究所」に入社してゲームクリエイターの道をひた走り、生み出されたゲームの数々。

今ではyoutubeチャンネルでゲームやゲーム制作について非常に詳しく解説もされてます。

桜井政博の高校、大学は?

天才との評され、ゲームクリエーターとして沢山のゲームを世に送り出してきた桜井政博さん。

子供時代から中学、高校、大学と学歴を見ながら、どのように過ごし今に至るのかを見てみましょう。

幼少期~中学時代

桜井政博さんのゲーム愛は、いつから育ち始めたのか?
それは幼少期にさかのぼります。

きっかけは、5歳ごろにパドルコントローラーでボールを跳ね返すテニスゲームをしたとき。

当時の桜井少年は、その物理法則を無視した世界観に「すごい!」と思ったとのこと。

ゲームから物理の法則に端を発するあたり、天才の片鱗が垣間見えますね。これを皮切りにゲームに没頭し知識と技術を磨いていくことになります。

そんな桜井少年も中学生となり、ゲームプログラムを自作でできる「ファミリーベシック」でビデオゲームを作る楽しさを知ります。

ゲームをきっかけにゲームをクリアする技術を磨いていく、ゲームセンターで太鼓の達人を芸術的に打ち鳴らすなど、ゲームから影響を受け技術向上していく人は様々ですが、桜井さんの場合には、ゲームプログラムに楽しさを見出していきます。

このあたり、将来の名ゲームクリエーターの誕生を予言しているようです。

高校時代

中学卒業後は、電気工学系の専門学校(5年制)へと進学したようです。

なぜ専門学校へと進学したかと言えば、当時から「生活は人の仕事の上に成り立ち、専門家が特化したことで生活が快適になる」という考えがあり、また「実践的なことを早い段階から学んだほうが良い」ということからのようですね。

参考)ゲーム制作者は自らの役割を磨け – CNET Japan

それでも実際入学した後は授業に対する疑問もあり、普通高校へと転入。バイトをしながら「楽しさが生まれる感触を体で感じることが重要」ということでどんどん遊んだとお話しされてます。

文字で書くと自然に流れているような感じですが、実際自分が高校生の時、こうした決断や行動が出来たかと言えば、それはもう、全くできることでは想像も難しいでしょうし、桜井さん自身、当時は既に将来の目標が明確だったからこそできた英断とも言えるでしょう。

普通高校に転入してからは、とにかくゲームソフトをひたすら購入し研究する、そんな日々を過ごし、現在でも膨大な数のソフトを買い遊ぶ(研究する)という習性がついたと語っています。

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高校卒業後はハル研究所へ

高校は普通高校だったということから、
卒業後は大学に進学したかと言えば、そうではなく、ゲームソフト、ゲーム制作システムの開発などを行う「ハル研究所」に入社。

ハル研究所 公式ウェブサイトはこちら

当時HAL研究所で「ゲームデザイナーの募集」が行われていたそうなので、これに応募した、ということになるでしょうか。

入社して間もなく社内募集の「誰もが楽しめるゲーム企画」で構想を練っていたのが、ゲームボーイソフト「星のカービィ」なんですね。

19歳の時には企画書を書き、21歳には製作に入り、初のディレクターを務めることになります。

なぜ「星のカービィ」だったかと言えば、さんざんゲームで遊びまくり「楽しさが生まれる感触を体で感じまくっていた」桜井さんが考えていたのが「ゲームを遊んだことの無い人はどこからとりかかったほうがいいか」ということ。

正に「誰もが楽しめるゲーム企画」に通じますが、実際「星のカービィ」は当初ゲーム初心者のみを対象にした初心者のためのやさしいゲームであり、その狙い通り「星のカービィ」は全世界累計500万本以上を売り上げる大メガヒット作となります。

ゲームをしない方も「星のカービィ」という名前や、あのかわいらしいピンクのキャラクターは目にしたことがあるでしょう。キャラクターデザインから吸い込み、吐き出し、ホバリングといったゲームシステムの大部分を桜井さんが企画しています。

桜井さんは、まさにその生みの親。

続編も桜井さんが制作を指揮し、ゲームシステムもさることながら、グラフィックにおいても完成度の高いものとなっており、いまだに高い人気を誇っています。

NINTENDOのWIIにも登場してますね。

また「スマッシュブラザーズ」が作成されたのもハル研究所の在籍時代。

当時、コンシューマの格闘ゲームはオリジナルキャラクターでは売れない、と信じられていたようですが、そのジンクスを打ち破って国内でなんと200万本に近いメガヒットを記録。

当時「オリジナルキャラクターでは売れない」と言われていた格闘ゲーム。

だったらすでに認知されているキャラクターを使っては?ということで、目を付けたのがマリオなどの任天堂のキャラクター。

実際任天堂に交渉に行き、具体的にゲームという形にしちゃったんですね。

当時任天堂では、キャラたちが戦うことに戸惑いがあったのだとか。そんなこと想像もしてなかったでしょうし、「おいおい、そんなことしていいのかよ」なんて当時の社内の声が聞こえそうですよね。

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フリーランスとなって更に活躍

そうした中で桜井さんは2003年(33歳になる年)にはハル研究所を退社。フリーのゲームクリエイターとして執筆活動やゲーム制作に参加していきます。

2005年(35歳)に8月には、自身が代表取締役を務める有限会社ソラを設立。

ソラを設立したのは、任天堂から桜井政博さんに「大乱闘スマッシュブラザーズX」のオファーが来て、諸事情から新しいオフィスを立ち上げたほうが良い、と考えてのことのようですね。

以下の動画でソラについて桜井さんが楽しく解説されてますが、ソラ設立は桜井さん自身が動きやすいようにするための手段(桜井さんが他の会社と契約するための手段)であったようです。

だから社員の募集もしてないし、履歴書を送ってこないでね、と言ってるところも面白いですね。
(ということは、実際履歴書送ってくる方も多いのかも)

2009年(39歳になる年)には株式会社プロジェクトソラのディレクターになり、その後、任天堂よりプロジェクトソラが設立されます。株式会社プロジェクトソラは2012年に解散されています。

そして2022(52歳)にはYouTubeチャンネルを開始。

以下はそのYoutubeチャンネル動画の1つですが、桜井さんのゲーム開発の経歴が分かるような内容になっていて、桜井ファンなら必見になりそうですね。

このYoutubeチャンネルではゲーム作りのノウハウを伝えていたり、その動画の一部は、海外の学校でゲーム制作を学ぶ講座で実際に使用されてもするようです(やはり凄いですね)。

トップランナーによるゲーム開発のコツやノウハウをゲーム開発者が視聴しやすい番組として提供していることや、万人へ向けたゲーム開発の知見の共有が評価され、CEDEC AWARDS 2023など受賞しています。

自身のノウハウを惜しみなく後進に伝える姿などを見ていると、ゲームに関することだけでなく人としても尊敬しちゃいますよね。

まとめ

  • 桜井政博さんは、ゲームを企画、制作したゲームクリエイター
  • 高校は専門学校にまず入り、すぐ普通高校へと転入
  • 卒業後は大学へは進学せず、ハル研究所へ入社し、「星のカービィ」などを生み出す
  • 現在ではyoutubeチャンネルでもゲーム制作関連の詳しい情報を発信したりして活躍中

桜井政博さんはメガヒットとなるゲームを生み出したり、数々の功績から天才とも評されるようですが、専門学校へ一度入学してすぐ別の普通高校へ転入、さらにハル研究所へという流れを見ると、16歳、17歳という若い頃から将来への道筋をはっきりと定めていた方のように見えますね。

今ではyoutubeを通してゲーム制作などの詳しい情報も発信され、ゲーム関連の多くの方に影響を与えているようです。

これからも更にその活動に注目が集まりそうですね。

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