岡田斗司夫さんをYouTubeで知ったという人は多いのではないでしょうか。
ジブリ作品に付いて深く考察する動画で一躍人気となりましたが、実はかなりの天才で、知る人は知るすごい人。
若い頃は何してたか、どんな人だったのか、経歴や学歴が気になりますね。
今回は、岡田斗司夫さんに関してプロフィールを始め、幼稚園から小中高、そして大学までの学歴を通してどんな方なのか、卒業後はどんな活躍をされたのか詳しく調べてみました。
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岡田斗司夫のプロフィール
- 名前:岡田斗司夫(おかだとしお)
- 年齢:64歳(2024年7月の誕生日で)
- 誕生日:1958年7月1日(蟹座)
- 出身:大阪府大阪市住吉区
- 血液型:O型
名前の由来は?
岡田斗司夫さんの名前は「斗司夫」(としお)さん。
昭和につけられた名前としてはかなり個性的な名前だな、という感じがしますが、かっこいいですよね。
「斗司夫」という名前の由来について調べたところ、「斗(たたかい)」を「司る」「夫(ますらお):勇ましくて立派な男性」という意味になるようです。
名付けの意味の通りに育ったのかはご本人のみぞしる、みたいなところですが、動画の中で凄く深い考察を元に熱く語るその姿から、我が道を突き進む男性、という感じで、この名前が凄く合ってるますよね。
年齢は?
岡田斗司夫さんは、今年2024年現在で65歳になるようです。
60を超えているとは全然思いませんでしたが、熱く語るその力強い姿から、かなり若く見えますよね。(40代といっても疑わない人は多いかもしれません)
若さの秘訣が知りたくなってきますが、
一番はそのエネルギッシュな活動にあるのでしょう。
岡田斗司夫さんは、自分の誕生日が来ると
毎年必ずYouTubeで誕生日を迎えたことを教えてくれます。
上の動画でも、冒頭で誕生日を迎たことやその歳での豊富を述べた後に、本題に入るようになっていますね。
自分の誕生日は大きな節目としてとらえ、
1年1年しっかり目標をもって進めていっている、という姿勢が強く出ているようです。
(こうしたところも若さの秘訣になりそうですね)
岡田斗司夫の出身は?
岡田斗司夫さんは大阪府立病院で生を受け、
「大阪市住吉区」で育ったようです。
動画の中で見られるように、
一見楽観的とも言える明るい性格は、
大阪のノリみたいなものが関係しているのかもしれません。
血液型もO型ということから、
細かいことはあまり気にしない性格かもしれませんね。
(でもこだわるところは、トコトンこだわる、という側面が非常にあるんですけど)
大阪市住吉区というと
「阪堺電気軌道」「住吉公園」「万代池公園」などが有名でしょうか。
中でも阪堺電気軌道は、岡田斗司夫さんの大好物(笑)である機械系の名物になりますので、ご本人も少なからず興味を持っていたでしょう。
今ではYouTubeでも大きな知名度を誇る岡田斗司夫さんですが、子供の頃や若い時はどんな人だったのか、以前は何をやっていた人なのか気になり、調べてみました。
岡田斗司夫さんの若い頃のエピソード等を交えてまとめてみましたが、これがやっぱり驚くことが多いですね。
岡田斗司夫の若い頃
岡田斗司夫さんは、生まれ持っての天才肌の方のようで、現在までにかなりの功績を残されていますね。
肩書だけでも以下のように凄く沢山あります。
- 「プロデューサー」
- 「評論家」
- 「文筆家」
- 「実業家」
- 「企画者」
- 「講演者」
この肩書を細かくしていくと以下になるようですが、
いや、これ、凄いですよね。
- 「株式会社オタキング代表取締役」
- 「株式会社クラウドシティ代表取締役」
- 「FREEex設立者」
- 「株式会社ガイナックス元代表取締役社長」
- 「東京大学教養学部元非常勤講師」
- 「大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科元客員教授」
これだけ代表取締役や設立者を経験する人もそうそういないでしょうし、東大や大坂芸大でも教鞭を執ってたりして、一般的な感覚だと、とてもこれらに到達できない領域みたいな感じです。
これを見るだけでも、本当に天才だったのでは、
と思いますが、今回はその中でも、岡田斗司夫さんの若い頃に着目して、当時どんなことをされていたのかをご紹介していきたいと思います。
ガイナックス設立
岡田斗司夫さんといえば、
「株式会社ガイナックス」というアニメ制作会社と連想される方も多いかもしれません。
なんとガイナックスを設立したのは、若干26歳の時だそうです。
かなり驚きですが、ガイナックス設立前にも岡田斗司夫さんはSFショップのグッズを手掛ける「ゼネラルプロダクツ」という開始社を設立されています。
その後、会社内でいざこざがあったようで、
退社された岡田斗司夫さんは東京でガイナックスを設立されました。
株式会社ガイナックスでは主に以下のような作品が制作されてますね。
誰しも一つは聞いたことや見たことがある作品があるのではないでしょうか?
(エヴァンゲリオンなんて超有名だと思います)
やはりこの頃が一番忙しかったらしく、
5〜10個のプロジェクトを同時進行させていたのだとか。
ご本人も「やることが多すぎて、自分でもよくわからなかった」と話されているほど。(いや、それはそうだと思いますよ)
寝る時間がもったいない、という理由で、
服を着たまま眠り起床して1分で外出するという、現代では考えられない仕事ぶりだったそうです。
そのおかげでたくさんの功績があるのでしょうが、簡単に真似できることではありませんよね。
普通なら身体を壊しそうですが、
若さで乗り切ったというところなんでしょうか。本当に大変だったと思います。
1992年に岡田斗司夫さんはガイナックスを退社されますが、数々の有名作品を生み出した実績はアニメファンから見ると驚くかもしれません。
これほどの実績を生み出した岡田斗司夫さんは、どんな学校で教育を受けたのかなど気になると思いますので、このあとご紹介させていただきます。
岡田斗司夫の学歴は?
天才と言われる岡田斗司夫さんの学歴はどういうものだったのか、高校や大学というより、幼稚園時代から見ていくと、やはり特徴ある逸話が残されてますね。
岡田斗司夫の幼稚園時代
岡田斗司夫さんは、1963年に大阪市住吉区遠里小野という町の幼稚園に入園します。
岡田斗司夫さんは2年目にして
漢字が読めるなど早熟であり「幼稚園は無意味だから辞めたい」と主張されたそう。
幼稚園は無意味ってなんやねん、と驚いてしまいますが、若干5歳でこんなこという子供、聞いたことないですよね(笑)
これ本当の話かな、と疑いたくなる人も多そうですが、岡田斗司夫さんのIQは噂によると148とのこと。
IQだけで語れるものではありませんが、
平均的なIQは100ぐらいなので、148が本当だとすると、分析力や理解力、記憶力、問題解決能力が非常に高い、と言えそうです。
その後、両親の合意を得て翌年退園されているので、辞めたい、と主張されたのにはとても信憑性がありそうですよね。
岡田斗司夫の小学校時代
続いて小学校時代。
岡田斗司夫さんは大阪住吉区内にある公立の小学校に通われてますね。
この小学校では、全学年を違う年齢の子たちを混ぜてグループを作る、いわゆる縦割り集団で学校行事に取り組むなど異学年交流に力を入れてるようです。
こうした環境は、幼稚園は無意味、と主張されていた子供としては、年上の人にも囲まれて良い刺激にもなったかもしれません。
また学校とは別に、
小学生時代に岡田斗司夫さんのご実家にも大きな変化が訪れてますね。
小学3年生頃から母親の裁縫内職の規模が大きくなり「有限会社岡田刺繍」を設立され、その流れで父親が当時教師でしたが、辞めて岡田刺繍の社長に就任したとのこと。
元々は裕福ではない家庭だったそうですが、これを機にお金にも余裕が生まれ、この頃から岡田斗司夫さんはオカルト好きになったそうです。
家庭の変化とオカルト好きになったことの関係はあるのかないのかまでは分かりませんが、そうしたことに興味の行くお年頃ですよね。
まだまだ幼い幼稚園時代に、幼稚園は無意味、とまで主張した子供ということは、IQの高さもあってオカルトを通して色々考えたり調べたりしてのめり込んでいったのだろう、みたいなところも想像できそうです。
岡田斗司夫はこうして科学や物理方面に明るい子へと育っていくのでした。
岡田斗司夫の中学校時代
岡田斗司夫さんは小学校卒業は勿論中学へと進みます。
出身中学は、近隣3つの小学校の校区に設立され、
その3校が結ばれて発展するという意味合いの名前が付けられた中学校。
こちらの中学校では岡田斗司夫さんの他にも、
タレントの「前田五郎」さん、「西川きよし」さんなどが卒業されてるようですね。
この頃には岡田斗司夫さんの夢はSF作家になることだったそうです。
(オカルトからどんどんと科学や物理方面へと進んでますよね)
友人から撮影機材を借りて
自主短編映画を撮影し、学校の行事などで上映されていたのだとか。
この頃から好きなことに対しては、
意欲がとてつもない方であった様子が伺えますね。
岡田斗司夫の高校時代
岡田斗司夫さんの出身高校は「大阪府立今宮高等学校」。
こちらの高校の偏差値は調べてみると61とのこと。
あくまで2023年時の調査した時の偏差値なので、
岡田斗司夫さんが入学したころとは異なると思いますが、逆に今より勉強に対する重要度が高かった時代でもあると思いますので、現在以上の偏差値だったのかもしれません。
しっかり勉強のできる方でないと入学は難しそうですね。
こちらの高校では岡田斗司夫さんの他にも、
俳優の「伊原剛志」さん、ノーベル化学賞受賞者の「福井謙一」さん、落語家の「林家染丸」さんなど多彩な人たちが卒業されています。
この頃ご両親の新事業成功に際し、
家を新築されたようで。岡田斗司夫さんには45畳の部屋と業務用のエアコンが充てがわれたのだとか。
45畳って74平方メートルぐらいだと思いますが、マンションで言えば3LDKぐらいが1つの部屋として存在している感じ。ちょっとしたイベント会場ぐらいの広さがありそうですよね。
そんな広い部屋に3年間かけて1万7千冊の蔵書が溜まったそうですが、知的好奇心というか、探求心というか、そうしたものが現れてそうです。
(部屋は広いので置き放題だと思いますが、
さすがに2万冊弱の本で埋まると、部屋の中で動けるスペースは少なくなりそうですね)
実家も裕福になり、当時30万円以上するビデオテープレコーダーも買ってもらったりしたようで、こうしたことも岡田斗司夫さんには凄い刺激になったはず。
ここまで見ると、この先も大学、就職へと一本道で進んでいくのかという感じもしますが、実は大学受験には失敗するんですね。
ここまでの人生の中で初めての大きな挫折になるかもしれませんが、岡田斗司夫さん、夕陽丘予備校へと通うことになります。
受験した大学はどこだったのかは分かりませんでしたが、早熟で天才肌、でもあるインタビューでは「サボることには熱心だった」とも言われる岡田斗司夫さん。
科学的なことに興味が大きかったということから、偏差値もある程度高い大学の理工系学部を受験したことになるでしょうか。
出身は大阪なので、大阪大学、とか、大阪市立大学、お隣の京都大学だったかもしれませんが、生年月日が1958年7月1日から考えると、受験は1976年になるのかな?
早熟な岡田斗司夫さんから見たとき、
その後の人生において進むべき大学や学部が見当たらない時代であったかもしれませんし、だから大学受験も気合が入らなかった、ということもあったのかも。
予備校も体裁のために通った、といった形だけだったかもしれませんね。
岡田斗司夫の大学時代
岡田斗司夫さんは予備校を経たのち「大阪電気通信大学」へと進学します。
こちらの大学(情報通信工学部)の偏差値は見てみると2023年調べでは45。
最初受験に失敗した大学とは多分というか明らかに異なりそうですが、受験に失敗したことと、この大学へ進学したところから、予備校時代に何か気持ちや考えに大きな変化があったことがうかがえそうです。
岡田斗司夫さんご本人も
「当時この大学は名前だけ書けば誰でも合格できるところ」とおっしゃっています。
ということは、最初の受験では何か方向性が定まっていなかったけど予備校時代に何かが定まり、結果としてこの大学を選んだ、ということも言えるかもしれません。
実際の大学生活はどんなものだったかと言えば、
岡田斗司夫さんは入学1年目にして履修届を丸々出し忘れてしまって一度も大学の授業を受けていないようです。
履修届を出し忘れ、つまり単位を取るべき講義を申請しなかった、ということになりそうですが、大学で何かを学びたい、と考えてこの大学を選んだとしたら、ちょっと考えられないことですよね。
つまり当時岡田斗司夫さんにとって、選んだ大学自体は特に意味がなく(幼稚園時代に、幼稚園は無意味といってたのと何か共通しそうですが)、進学すること自体に意味があり、それを達成した後は別の目的か何かを持っていた、ということになるのかも。
大学には通うふりをしながら、親から仕送りをもらっていたそうなので、何かをしたくて体裁的に大学にとりあえず入った、という感じかもしれませんが、親からしてみれば驚愕ものですね。^-^;)
2年目以降、気持ちを新たに履修届を出したのか、
といえばそれは分かりませんが、大学4年目になる1981年に放校処分を受けているとのことから、おそらく履修届は出されてなく、つまり大学で一切講義を受けてない?!ということにもなりそうです。
最終学歴的には「大学中退」となりますね。
では大学時代、何をしてたの?ということになりますが、大学の4年間、岡田斗司夫さんはこの大学で当時発足していた「SF&アニメーション研究会」へ入部し、4年間をこの活動に捧げていたようです。
やはりというか、このあたりから岡田斗司夫さんの本領発揮みたいなところが見えてきますが、もしかしたらこの研究会の存在を知っていたからこの大学を選んだ...なんてことはないですよね。
この研究会の活動を通して庵野秀明さん(アニメの大御所の一人)と出会っています。
ここでの出会いが、後の様々な有名作品を生み出していく事に繋がっていくんですね。
まとめ
今回は、岡田斗司夫さんのプロフィールや、特に岡田斗司夫さんの若い頃や学生時代にフォーカスして詳しくまとめてみました。
この中で一番衝撃的だったのが、やはり岡田斗司夫さんの幼稚園時代。
幼稚園は無意味だ、と主張されて辞めてしまった、というのが、信じられない感じですが、現在の岡田斗司夫さんの洞察力というか考察力や、これまで多くの会社での実績を考えると、小さなころから早熟で頭の良い子供だったことがうかがえそうです。
現在では新しい作品を生み出すことはなくとも、様々なアニメ作品やゲーム等に関してYouTubeで鋭い解説を行っています。
そこまで深く考えるか、どうしてそんなに深い考察が出来るのか、と話に飲み込まれていく感じがしますが、とても見どころ聴き所満載のチャンネルになってますね。
考察が深いだけに、いやそれはそうではない、という感想を持ちながら聞く方も多いと思いますが、そうした感想というか気づきというか、そうしたものをいっぱい与えてくれるのが岡田斗司夫さんだとも言えそうです。
これからの動画もますます楽しみになっちゃいますね。
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