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【安芸高田市】議会だよりの問題点と石丸市長の狙い。なぜここまでこじれるのか

政治系の話題で、今最も注目される1つが広島県の安芸高田市。

石丸伸二市長と議会(議員)との間で、これまでも「居眠り」や「恫喝」の問題、「無印良品出店」や「副市長の予算削除」などの問題が切り抜き動画の拡散もあり注目の的にもなってます。

最近では議会発行の「議会だより」について、
執行部側からの予算削除と、それに対抗した予算の修正案の審議可決と再議もあり、果たして「議会だより」の本当の問題点は何なのでしょう。

今回は、なぜ「議会だより」がここまでこじれるのか、
石丸市長の考えや狙いなど含めて考察してみました。

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考察の前提

まず前提ですが、この記事を書いている筆者は政治評論家でもなんでもなく、政治にはほぼ無関心の一般的な社会人の一人(だと思います)。

ある時から安芸高田市に関連する切り抜き動画を見始め、安芸高田市公式のYoutube動画やYoutubeチャンネルを持つ安芸高田市の議員(熊高議員や田邊議員)の動画を見たりしますが、安芸高田市とは縁もゆかりもない第三者。

恥ずかしながら、安芸高田市関連の動画を見る中で、
初めて「二元代表制」なるものを知った程度の知識しかありませんでした。

(中学ぐらいで習ってるはずなのに忘れてる)

安芸高田市とは利害関係の全くない一個人の感覚からするとこう見えるかな、ということで考察をしてます。

市長の目指すところと議員の意識の違い

「議会だより」について、どうして市長と議員(議会)の間でこじれているかを見る中で、重要となるのは「議会だより」そのものの問題より、市長の目指すところにポイントがあると思います。

石丸市長が市長になる時に掲げた公約は以下の3つですが、

  • 政治再建:政治の「わかる化」
  • 都市開発:将来を見据えた投資(教育)
  • 産業創出:リモートを活かした人材の確保

参考)安芸高田市 公式HPより

この3つの公約の中で石丸市長が最も重点に置いているのが「政治再建」。
(確か切り抜き動画で過去市長がそう発言していたと記憶してます)

その根本にある考え方は、以下のようなもの。

  • 日本では少子高齢化が不可避であり、(安芸高田市に限らず)これからも人口減少が確実で今の規模の市は保てない
  • 公共施設にしろ道路、橋などにしろ、それらを維持できなくなる時(市の財政破綻)が10年後、20年後に迫っている。(道路や橋、公共施設もお金がなくて修繕できず、いつ崩れるか分からない危険物にもなり撤去が必要となる未来がすぐそこまで迫っている)
  • そうなれば、当然企業やお店も安芸高田市から撤退していき、市は荒廃し、最後に取り残されるのは他の地域に逃げ出したくても逃げ出せない人たち。(今の40代、50代以上の方ぐらいかな?もしかして30代も該当するかも知れませんが、60代以上の方が一番苦労しそう)
  • そうならないためには、市の予算(石丸市長就任以前は5年連続赤字だったもの)について赤字を出さないようしっかり管理し、削れるものは1秒でも早く削る、見直しが出来るものは見直す、人口減少に見合ったまちへと再建(コンパクトシティ化:市全体に(今では無駄に)広がっている公共施設や住民などを極端に言えば一か所に集め、6町にまたがって同じようにある公共施設は1つにまとめながら、全てをまちの一部にまとめていく)ということが必然的に必要になる。
  • そうすれば道路の修繕などは一部でよくなるし(費用も人口に見合った額で収まるようになるし)、人口減少しても市民の生活水準を保て、市として存続できる、そうした街づくりを行う

石丸市長の動画を見ていていると、
大体こうした考え方になるでしょうか。

これは安芸高田市だけでなく、
全国に千何百とある市町村など地方自治体に共通する課題であり、それらが目指すべき課題解決法の1つとして、石丸市長は市民との懇談会や財政説明会を通してお話しされてますね。

ただこうしたコンパクトシティ化などこれを推し進めるには、過去の市の財産(公共施設や道路など)をそのまま維持したいとか、未来に渡って維持できると考えている市民や市民の代表である議員の考えを刷新しなければ当然できない。

(コンパクトシティ化に向けて進めようとしても議会で拒否される。物事を進めるには議会で承認、可決が必須であり、でもその議会で拒否されるため進めたくても進められない)

だから市の政治改革(言ってみれば議員や議員を選ぶ市民の意識改革)が市を存続させるための一丁目一番地になる、というのが石丸市長の根底にある考えになるでしょう。

その考えを元に「”議会だより”はどうあるべき」と考える市長と、ただ議会だよりだけを見ているようにもみえる議員とは、そもそも議論の視点が異なり話がかみ合わない、というのが議会だよりの問題の根底にあるように見えます。

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議会だよりとは、そもそも何?

安芸高田市には、
政治に関する広報誌として、以下2つがあるようです。

広報あきたかたは、市民に対する連絡事項や、
市の動きを広く市民にお知らせする役割の広報誌。

一方、議会だよりは、議員の活動報告。

市の決定事項は、執行部権限で行われるもの(予算編成など)をのぞけば全て議会で決まるため、

  • 何がどのように決定されたか(条例改正や予算承認など)
  • その過程はどのようなものか(定例会の質疑など)
  • 議員の活動報告(各委員会や所管事務調査など)

こうしたことを広く安芸高田市の市民に伝える重要な情報誌が「議会だより」になるんですね。

市が実施した市民アンケート調査でも「市民の8割が読んでいる」と回答されたようで、だから、その中に誤解や間違いがあると「市民の8割が間違えてしまう」という、安芸高田市の市民には非常に重要な位置づけのもの。

議会だよりの問題点とは

この議会だよりに対し、石丸市長が問題視しているのはただ1点。

議会だよりに、虚偽や誤解を与える表現が含まれている

裁判をしてでも...、というレベルで
なぜ市長が問題視しているかと言えば、先ほど見た政治改革の根幹に大きく関連するから。

石丸市長は、自分がいてもいなくても市民自ら(つまり議会、議員自ら)で安芸高田市を持続していけるまちを目指してます。

それには「市の政策を左右する事柄を決めている議会」が正しく機能することが必要ですが、現状機能していない、と石丸市長は見ているんですね。(まぁ動画を見ているとそうなるでしょう)

議会が正しく機能するには、2つの方法しかありませんが、

1)議員の質を上げる
2)質が伴わない議員は入れ替える

議員の質を上げるため、これまで市長は議会だよりは勿論、かなり手厳しく議会の中で議員の質問自体や受け答えに対して指摘を繰り返してますが、切り抜き動画が拡散され、政治に基本的に無関心であった私のところまでも回ってくるほどの人気ぶり。

なぜ人気かといえば、議員の質疑や応答の中に、なんで?という個所が多く、それが議会という特殊で神聖な空間で行われていることに面白いと感じる人が多いからになると思いますが、ここ数年の切り抜き動画を見ても、議員の質問や応答の質は特に変わってないように見えます。

となると、質が伴わない議員の入れ替えをすることが必要になりますが、議員は市民の選挙で選ばれるもの。

でも現在の議員を選んだのも市民なので、
次回選挙(2024年11月ごろ)でまた同じような意識で選ぶことのないよう、市民に正しく判断してもらえるように情報提供が必要。

その重要な情報提供の最もたるものが「議会だより」。

でも市民の8割が読むと言われるこの「議会だより」に誤解を生じさせる表現や虚偽とも読み取れる表現があれば、それはつまり市民の8割が正しく安芸高田市の政治を理解できず、それを行う(自分たちが選んだ)議員の評価もできず、結果、議会だよりの中に見る「もっともらしく活動をしているように見える議員」、「普段なにか自分たちのためにしてくれているように見える議員」を(なんとなく)選ぶことになり、本当に自分たちの未来を見据えて活動してくれる議員を選ぶことが出来なくなる。

単に「普段会話をする機会があるから」とか「近くに住んでいて昔から知ってる人」とかの、まるで「自分の生活には一切影響しない」「単に選んでおけばいい」ぐらいの気持ちで投票することになり、それは実は未来の自分の首を絞めていることに気づけない。

こうした未来を避けるため、
石丸市長は本来する必要のない「議会だよりのチェック」を細かくするし、誤解や間違いががあると思われれば指摘をする。

でも議会だよりの中の文章を書くのは議員であり、議員からしたら「議会や議員の現状を知らせる」ということは難しく(自分の評価を下げることも書かなくてはいけなくなるので)、だから市長が指摘するように、実際には明後日の方向に飛びまくった質疑でも、どこかとどこかをくっつけて、さも議論が成り立っている風な形にして発行する、ということにもなるでしょう。

議員からしたら、議会だよりは議会や議員の実態を報告するという位置づけではなく、自分たちの活動の紹介をしておけば良いぐらいの位置づけなのかもしれませんし、

  • 実態を報告しないと意味がないと思っている石丸市長
  • 実態ではなく活動報告をしておけばよいぐらいの意識の議会、議員

それぞれ議会だよりに対する位置づけが異なるので、
いつまでたっても意識のみぞは埋まらない、という感じなのでしょう。

特に印象的なのものに、要約問題がありますね。

文字数300文字だったか、その中に議員が行った質疑を要約せねばならず、だから誤解を生むような表現が混じるのは仕方ないみたいな説明をした議員がいたようですが、それに対しての石丸市長の返答は、「中学の国語のテストではない。税金から600万円も給料もらっておいて、たかが年4回しか発行しない議会だよりに心血注げない議員に何が出来るのか」というようなものでした。

おっしゃること、ごもっと。

そもそも要約がうまくできないのは、
議会における質疑がかみ合ってないからだと思いますし、かみ合わない一番の原因は、質問(特に出だしの質問)の仕方が良くないから。

だから市長にそもそもの質問自体に対して指摘されたりして、一体何の話をしてるんだ状態になるので、それは要約できないでしょう。

要約できない問題については、議会内の広報委員会(?)で、議事録にない文言は載せないなどルール作りをしているようですが、そんなことよりまず質問力を上げるのが一番の対策になるのでは、と思ったりします。

一般質問など定例会後に議員が集まって、
どうしてそうした質疑や応答になったのかなど、振り返りや反省会ってしてないのかもしれませんね。

反省会以前に、所詮といったらなんですが議員が15人からいて質問するのは8名ぐらいなので、定例会前に議員が集まり、質問予定の内容に対して、議事録から過去の経緯の確認や、何を議論したいための質問か、執行部から何を引き出したい質問なのか、そのための質問になっているかなど、議員皆で集まって事前のチェックもすれば良いと思いますが、動画を見ていると議員間の横のつながりはあまりなさそうですね...

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議決の問題点

政治改革に大きく関連する議会だより。

市民に対して非常に重要な情報となるこの「議会だより」に誤解が虚偽とも受け取れる表現があり、一向に改善される気配がないため、2024年度の安芸高田市の予算では、議会だよりの予算を削除せざるを得ないと石丸市長は判断してます。

これはその何か月も前(2023年の後半。11月ぐらい)から、議会だよりの予算削除の可能性を議会には通知してましたが、それには議会は何も反応せず、悪く言えば無視を継続。

当たり前の流れとして、議会だよりの予算は削除され、何も反応してなかった議会はそれには反発し、その後、議会だよりの予算を入れるといった予算修正案を議会で可決してます。

ここには2つの問題があると市長はお話しされてますね。

  • 議会基本条例
    ⇒ 市民が正しく理解できる情報発信に努めることへの違反
  • 地方自治法
    ⇒ 地方自治法に定められた市長の発案権対する違反

議会基本条例の違反については、
石丸市長がさんざん指摘してきた議会だよりの不備に対し、何の対処もされていない(対処してないようにしか見えない)から違反としてとらえている点。

地方自治法については、
市長の予算案に対して議会は予算の追加の修正はできるけど、その追加修正はあくまで市長の予算意図に沿う中でのものでなければならないという決まりがあるようで、その点に対して違反しているととらえている点。

まず議会基本条例については、市長は不備と指摘し、議員の過半数(議会)は不備でないという主張で、対話もなく(議会は無視をし続け)お互いの理解がされてないまま。

また、地方自治法にある「予算追加の修正は、市長の意図に沿うもの以外はできない」という点は、何か市長の横暴を許すことにもつながりそうですが、これは以下を防ぐためにあるのでしょう。

1つは、予算を議会の思う通りに修正をさせないこと。
(過半数を超える議員たちの個人的な利害のための予算追加を防ぐ)

市長の意図にそわない予算追加などの修正が議会で自由にできるなら、それはなんでもありの議会になり、極端に言えば多数派を占める会派があれば、その会派の利害により予算が自由に決められることにもなります。

(たとえば、特定地域や特定企業を予算追加で優遇する、というようなことを後からごり押しで付け加える等)

一方、市長の意図にそう追加の予算修正なら良い、という点でも、仮に市長の意図するところが間違ったものであれば、それを正すことがまず最初にあり、その上での予算修正をする必要があることになりますね。

そこは市長と議会(議員)との対話の中で成されることになると思いますが、そもそも安芸高田市は議会が対話を拒んでいるのでこれが成り立たない。

仮に対話/議論の中で、市長の意図が分からないとか、意図が間違っている、という場合、それでも市長が意見を曲げないなどあれば、議会には市長を辞めさせることが出来る(市長に対する不信任案を出す)権限が与えられていて、不信任を発動して民意を問い、市長を変えた上で予算を修正すれば良いことになります。(そうした意味では議会も非常に強力な権限が与えられてます)

こうした仕組みが用意されているにもかかわらず、
市長を辞めさせることもなく、対話をしようとする努力も見えず、
その中で市長の意図(間違いや誤解と思われる内容が含まれる議会だよりは、多くの(8割の)市民を間違えさせることにもなり、安芸高田市の未来を絶望へと導くものになる可能性が大きいので認められないという意図)にそってない予算の追加修正案が議会で可決されたことは、この議会は本当に大丈夫なのかな、と感じた方も多いでしょう。

(だから安芸高田市を客観的に見れるその他の地域の人たちのコメントが殺到する)

石丸市長は当然のように、この可決に対して法にのっとり再議(改めて議会だよりの予算追加修正に対する審議のやり直し)を求め、またその審議の結果どう動くのが良いかを検討するために事前に各議員の意見を聞くべく議員に声をかけてますが、結果5人の議員が応じてその場が動画で公開される中で対話を持たれてます。

逆に言えば、残りの10名の議員は市長の対話の呼びかけに応じず、再議でも審議中に発言もなく、単に自分たちの最初の意見(予算修正案)を無言で通しただけの議決となりました。

これは「議会だより」といった1情報誌だけの問題ではなく、安芸高田市の未来につながる重要な問題(市民が正しく議員や議会を認識する情報元としての問題)として認識している石丸市長からすると、あり得ないとも思われるレベル(本当に市民に目を向けているのか、といったレベル)の議会の判断であったでしょうし、これも法にのっとり当然のように県知事の判断へとコマをすすめることを公式に表明しています。

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根本的な問題点は?

議会だよりの問題以前に、安芸高田市では数えると結構な数の問題があがってますよね。

それらを含めて議会だよりの問題を見てみると、
根本的なポイントが2つ見えてきそうです。

1)見ている視点の違い

石丸市長の誕生後、
これまで安芸高田市で大きな問題としては(切り抜き動画や公式動画を見ている中で)以下6つを個人的には認識してます。

  • 議会における質問の質の問題
  • 居眠り問題
  • 恫喝問題
  • 無印良品問題
  • 副市長問題
  • 議会だより問題

議会における議員の質問の質については、動画を見れば平常運転みたいなものですが、全てに共通すると思われるのが、「市長の見ている視点」と「議員の見ている視点」との違い

石丸市長は公約にある「政治再建」について「政治の見える化」という表現をしてます。

なぜ政治の見える化を公約として掲げているのかと言えば、市長から見て議会(議員)が正しく機能しておらず(つまり市長から見て議員が正しい判断ができない、市政を左右する議論のできる質が伴ってない)と見えているから。

これをどうすれば改善できるのか、改善するために何をすべきか、という視点に立ち、結局議員を選ぶのは市民なので、市民各々が選んだ議員の質が実際にはどうなのか見せるため、また、そうした中でも議員の質を少しでも上げるため、議員の質問に対しても見細かいと思われるもの含めて1つ1つ指摘をするし、国会にも見られ議会の日常ともとらえられる居眠り問題もしっかり取り上げるし、丁寧に指摘してきているように見えます

そうしたことの積み重ねが、指摘された議員の反発にもつながり、無印良品の出店に対する専決の否決とその後の予算削除や副市長の定数削減の議決にもなっているように見えます。

  • 議員の実態を市民に広く伝える
    (選挙結果のフィードバックを市民に返す)
  • 議員の質を上げる
    (細かく指摘し、改善してもらう)

石丸市長からすれば、単にこの2点をしているだけだと思いますが、指摘された議員は、自分の事を悪く言われた、人格否定されたととらえ反発する。

結果、無印良品問題の専決否決、専決とは別に審議されたはずの無印良品計画の予算削除、専決の否決時にも「専決前に臨時議会を開くことができたと考えられる」みたいな、具体的な論拠もなく感覚の世界のあいまいな可能性で判断する議会。

(今後まず訪れることはないであろう千載一遇のチャンスである市の大きな未来を失ってでも体裁を固守する判断をしてしまう議会)

更に副市長についても、説明機会(対話の機会)を拒み続けた挙句の果てに説明がされてない、みたいな、なんとも不思議な理由で、市長の権限で選任できる副市長も、議決で予算削除するということにもなったようです。

個々にはそれぞれ異なる問題があると思いますし、議員、議会は正に個別の問題として、その時々で市長の提案に反対している、というようにも見えます。

市長も勿論個別の課題として話してますが、市長からすると実は個々の話をしているのではなく、安芸高田市の未来を念頭に置いたうえで、議会だよりがどうあるべきか、議員、議会がどうあるべきか、といった視点で見ていることから、そもそも議論がかみ合わないのでしょう。

  • 個別の事象だけを見て判断する人、
  • 全体や未来を見据えた中で判断する人、

この二人がいた時に、
どちらの判断がより確からしいと思うか、より信頼できると思うか、その違いのようにも見えます。

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2)議論、批判の視点の違い

また根本的な問題として、
この議会に限らず「”議論”や”批判”のとらえ方の根本的な認識違い、ズレ」というものがあるようにも思えます

安芸高田市で行われる議会の中でもたびたび「批判」という表現について議長と石丸市長との間などでやりとりされますが、そもそも「批判をする」という表現について、議員のほぼすべてがその意味を取り違えているようにも見えます。

多くの日本人も同様に勘違いしている場合が多いと思いますし、「批判」という言葉の使われ方が一般的に「何かに対して悪く言う」みたいな意味合いで使われることも多いことから仕方のないことかもしれません。

国会同様、地方議会も「言論の府」(言葉こそが武器)であると思いますし、石丸市長がたびたび口にするように「国語」に対し、議員は一般人以上に正しい理解や表現の意味について敏感であることは最低限必要であり、またそれは議員にとって非常に重要と誰もが思うところだと思います。

(そうでないと、意図がくみ取れず議論が正しく進みませんので)

広辞苑など辞書を持っている場合には一度「批判」の意味を見てみるのが良いと思いますが、例えば、Goo辞書で見ると、批判の定義は以下になってます。

  • 1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を—する」「—力を養う」
  • 2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の—を受ける」「政府を—する」
  • 3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
引用元:批判(ひはん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書

つまり「批判」とは、問題点を指摘し評価したり論じること。

何か一般的に理解されている「人や物に対して悪く言うこと」とは異なりますし、単に悪く言うのは誹謗中傷というものです。(だから批判と誹謗中傷は明らかに異なる)

石丸市長が使う「批判」という表現は正にこれであり、問題点を指摘し、それに対して議論をしたりすること。でも議会の動画を見てみると、議長や議員が理解している批判とは、単に「悪口を言う」という意味合い(誹謗中傷と同義)ととらえているように見えます。

言論の府である議会で、
そもそもそれぞれが使う日本語の意味が正しく理解されてなければ、話しがかみ合うはずもないですよね。

石丸市長は「批判とは何か」も議会で説明してますが(他にも個人攻撃とは何を意味するかも説明してますが)それを聞く議員が聞く耳を持たないので、話はずっとかみ合わないままなのはある当然の結果なのかもしれません。

(批判とは何か、ネットでは詳しく説明している記事も多いので5分10分ぐらい調べて確認すれば良いのにとも思ったり:批判と誹謗中傷の違いを調べてみる

またこれに加えて、
最大の問題点であると思われるのが、批判に関連する「議論」の位置づけ

議論の中には、最も良い解を得るために批判も混じることになりますが、どうも批判をされた議員は「悪口を言われた」など、まるで個人攻撃をされたかのように受け取ることが多いようで、気分を害してそれを言い返すみたいなにもなり、そもそも議論にならない場合も多く見られそうです。

これは安芸高田市議会に限ったことではなく私を含め日本人全体に言える大きな弱点とも言えるとも思いますが、アメリカといった議論の本場、その中でもお金という非常にシビアで多くの人に多大な影響を及ぼし正に「隙あらば刺す」みたいな意見、批判の中で議論を繰り返してきたであろう石丸市長との大きな差。

石丸市長も議場で何度か説明してると思いますが、石丸市長は個人を攻撃しているのではなく(人格を否定しているのではなく)居眠りにしても恫喝問題にしても、その人の表現や行動の問題点を指摘し改善をして欲しいと言っているだけであり、でもそれを受け取った議員は、人格を否定されたかのように受け取り逆に言い返す(自分の体裁をなんとか取り繕おうとする)みたいな不毛な議論にも陥っている場合も多そうです。

  • 批判、議論、を正しく受け取れてない議員
  • 批判、議論を正しく実践しようとする市長

これが如実に表れてるな、と感じたのは、
議会だよりの個別聴取の1つ、田邊議員、南沢議員と市長の議論にあるように思えました。

二人の議員は対話をしようとする意思と行動があることから、安芸高田市議会の希望とも思えますが、市長は単に「こうしたことが問題ではないですか」と話しているだけにもかかわらず、それら1つ1つに対して、「いや、それは...」など、なんとか自分の正当性を主張しようとしているだけに見える個所も多く、本来の議論の姿には中々見えない感じです。

上の動画でも、市長は単に「優先順位はどちらですか?」「では今から考えれば優先順位はどちらだったと思いますか?」「優先順位の考え方はこうではないですか?」と優先順位のとらえ方について聞いてるだけだと思うんですけどね。

(ちなみに、優先順位の考え方は「重要度と緊急度」のマトリックスで考える方法が挙げられますが、議会だよりの市長による意見聴取は予算執行されるかされないかに大きく関係し再議もすぐに迫っていることから重要であり緊急でもあり、優先順位的には最優先、と客観的に見ても思われるところ。議員による広報委員会は、予算が執行されない現状、重要かもしれないレベルであり緊急度もそれほど高くないと思われることから、優先順位的に結構低いとも見れそう。つまり市長による意見聴取は最優先であり、その対極に広報委員会が存在するぐらいにもなるのかも)

普通に指摘されたことに対して、
客観的な視点で話をすればいいだけではと思いますが、実際その場に投げ込まれると、多くの人は同様の反応をする場合も多そうですよね。(私も議員と同じ立場だったら同様になりそう)

この市長の意見聴取に参加したのは5議員のみで、その他の議員は不参加だったようですが、その他の議員が同様に議論したら、そもそも対話自体が成り立たないという結果も予想されることから、対話を試みた5名の議員に安芸高田市の未来の希望を見た、と言えるかも。

議論に対する考え方や姿勢が異なり、更に、個別の問題点のみに焦点をあてているか市の今と未来をベースにして話をするかが異なるため、話しがかみ合わないのは当然にもなりますが、Youtubeのいくつかのチャンネルに上がっている安芸高田市の市民インタビュー動画などを見ると、議員と同じ感覚でこの批判、議論をとらえている市民も多そうです。

市長と議員の(いわゆる)対立は「どっちもどっち」という方も結構いるようで、市政への参加意識も乏しく他人事で思考停止している感もありそう。

市長任期中の1つの狙いは、次の議員選挙(2024年年11月ごろ)で、いわゆる反市長派とも言われる会派の議員が一人減り、客観的に判断ができる議員が最低限一人増えることにあると思います。

そうすれば議会議決で最大会派の意見に左右される機会も減り、バランスも今よりは普通に取れて、え?どうして?みたいなことも少なくなり、持続可能なまちへと大きく踏み出すことになるでしょう。

その判断を市民にしてもらえるよう、
8割の市民が判断を間違える恐れのある議会だよりの発行は、対策が十分とられない限り、石丸市長としても絶対にゆずれないものになりそうです。

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議会だよりの今後

今後は広島県県知事(湯崎英彦 知事)へと判断が求められることになると思いますが、県知事へと問題が挙げられた場合、その判断には最大90日かかるのだとか。

石丸市長もインタビューで答えてますが、
つまりは90日(約3か月)は判断が出るのに時間がかかる、ということを意味してるようです。

仮に2024年4月1日に県知事へこの議会だよりの問題をあげたとしても、県知事の判断はその3か月後の2024年7月1日前後ぐらいになるのかな。

  • 安芸高田市 市長選:2024年7月28日(確定)
  • 安芸高田市 市議会選:2024年11月ごろ

安芸高田市では2024年には2つの選挙があり、
市民の負担削減、予算1千万円以上の削減にもなることから市長選挙と市議会選挙を同時に行うダブル選挙も提案されてましたが、議会内で理由が不透明なまま既に「ダブル選挙は行わない」と決定されたようです。

この選挙のタイミングと県知事の判断のタイミングから、今後 議会だよりの扱いがどうなるのか、4つのパターンで考察してみました。

1)市長の言い分が正しい:市長を辞める

7月初旬ごろに広島県知事が「市長の言い分が正しい」と判断し、でも7月に石丸市長から別の市長に変わるとした場合、まず今の議会、議員では議会だよりの問題点は正すことはできず、石丸市長がいなくなったのをよいことに、結局いまのままズルズルと言ってしまうことが考えられそう。

新市長も市長になったばかりで忙しく、とても議会だよりのことまで気にする余裕もないことが考えられることから(石丸市長にしても、どこにそんな時間があるんだぐらいに議員必携も読み込んでるし更に指摘もするしで、もう今後石丸市長レベルの市長は誕生しないと予想)、安芸高田市の状態は徐々に石丸市長以前にもどり、石丸市長が懸念されている10年後などの未来に安芸高田市は財政破綻の危機が迫る可能性も大きくなりそうです。

2)市長の言い分が正しい:市長を継続

県知事の判断が、石丸市長の主張が正しい、となり、更に石丸市長が7月の市長選に立候補し当選して市長を継続した場合、議会だよりが正され、その修正が議会だよりに載り発信される可能性は高くなると思います。

ただ、議会だよりは年4回(2月、5月、8月、11月)しか発行されず、7月以降に修正が報告されたとしても最短で8月の議会だよりから。

でも多分間に合わない(議会内で当然もめる)ことが予想されるので、仮に誤りなどが議会だよりで報告されるにしても11月からで、市議会選挙までに市民に認識されることがほぼ期待できない。

結果として、議会だよりの問題というより、議会の問題が改善されることはなく11月の市議会選挙でも前回と同じような結果にしかならず、石丸市長を継続しても、安芸高田市としては中々思うような未来に進めないことが予想されそうです。

※)面白い切り抜き動画が続くと思えば、それはそれで嬉しい?!

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3)市長の言い分を否定:市長を辞める

県知事の判断が議会と同じ判断としたら
市長は、悪い前例を残さないためにも裁判も辞さない、ということも公表してますが、市長を継続しない場合、その時には、個人の資格で裁判に訴えるという立ち位置になっていることも考えられます。

そうなると、そもそも裁判に訴えることができない可能性もありそうですし、石丸市長が市長を退く前に裁判の決断をするにしても議会の議決が必要であり、今の議会で承認されることはまずないと思われることから裁判には至らず、結果、石丸市長もいなくなり、これまでの議会だよりが継続され、安芸高田市の未来は暗いものに突き進みそう、みたいな感じもします。

4)市長の言い分が否定:市長を継続

県知事の判断が議会と同じ判断となった場合、仮に石丸市長が再選を果たし市長を継続するにしても、議会で可決されず結局裁判には持って行けない可能性が非常に高いことから、議会だより問題は、そのまま継続され、その中で議員選挙が11月頃に行われ、何も状況が進展しない、ということが考えられそう。

つまり、これら4つのパターンのいずれを見ても、
石丸市長が7月に立候補し再選されたとしても、今の議会、議員体制はあまり変わることが期待できず、議会だよりの状況は今とさして変わらない、という未来しか見えなさそう。

当然これらのパターンは石丸市長はここで書いた以上に既に考え未来予測をしているはずですので、4年間頑張り、その中で最善の道を選択し、市役所の動きも変わった、またyoutubeなどで市の状況を市民にもある程度広まり、地方自治の現状を世間的にも認知が広まった、ということから「自分の役目は終わった」として、あとは安芸高田市の市民に未来を託し、市長選には立候補しない未来の可能性が高そうです。

いつも市長が行っているように、最後は市民の自覚と行動の問題。

安芸高田市に限らず、日本のすべての問題はここに集約され、今こそ目覚めよ、と訴え、あとは任せた、と、自分のやりたい道へと安芸高田市とは遠く離れた場所で活躍されるのでしょうか。

動画を見ている別の地域の視聴者は、もう十分やったから別の道へ進んで欲しい、とか、国政に出て欲しい、などの声も多いようですが、まず国政(国会議員)は数の原理で決まるので自分には不向き、というお話をいつかされてたように記憶してます。

ただ石丸市長は今回市長をしたことで、市長ができる限界、というのも十分知ったことにもなり、その限界をやぶるには別のアプローチが必要だ、という考えもありそうです。

たとえば、東京ニュービジネス協議会というものの特別プレゼンテーションなんかもされてますよね。

市長の時代にはできなかったこと、安芸高田市といった1つの地方自治体だけではどうにもならないことをできるようにチャレンジするなど、1つの市町ではなく日本の地方課題をより大きな視点から取り組んでみる、というような道へと進むのかもしれません。

(それが結果として安芸高田市の未来へとつながるものにもなる)

ちなみに石丸市長が退けば、当然安芸高田市への注目度が激減し、Youtube動画からの収入、ふるさと納税からの収入は目に見えて落ちていくことにもなりますね...

議員の中にはyoutubeやブログで情報発信されている方もいますが、多分それらの視聴者も激減していくことにもなるのでしょう。

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なぜそんなに議員必携に詳しいのか

最後に、石丸市長はなぜ議員必携に詳しいのかについて。

議会だよりの再議の時に、議員の討論の中で引用された議員必携の引用箇所に対し「すでに破棄された内容を元にしていた」と審議後のインタビューで指摘し話題になりました。

議場でその議員の発言中に「あれ?おかしいな」と石丸市長は気が付いたようですが(その他10名以上いる議員は気が付かなかったようですが)、なぜそれほどまでに議員必携に詳しいのか、不思議に思う方も多いと思います。

私もその一人で、記憶力が凄すぎ、みたいにも思いましたし、勿論それもあると思いますが、石丸市長は市長としての職責を果たすことに全力を注いでいる結果として、議員必携を熟知する必要性があったのでしょう。

企業とかで他の部署や他の会社と共同で仕事を進めるという経験をしている方なら分かると思いますが、自分の仕事をしっかり行うには、相手(他の部署や会社)がどこまでのことをするのか、といった線引きを明確にしておくことが物凄く重要。

ここが曖昧だと、歯車がうまくかみ合わずトラブルの元にもなりかねません。

石丸市長は市長として1期目ということもあり、
何もかもが初めてだったと思います。(とても1期目に見えないのが凄いところですが)

市長を初めて経験されるにあたって、
相対する議会、議員の行動範囲、権限の範囲を明確にすることで、逆に市長としての立場やすべき行動範囲の明確化する必要があり、だから議員必携を1つの道しるべとして深く読み込み、市長の立場や行うべき行動範囲の明確化をされているのだと思います。

結果として、どの議員よりも議員必携に詳しい市長が誕生した(笑)ということになると思いますが、それは市長としての職責をとことん果たすための副産物だった、ということが言えそうですね。

まとめ:覚悟の違い

石丸市長と(熊鷹議員を除く)他の議員との違いは、一言で言えば市長の言う「覚悟の違い」になるように思えます。

石丸市長は悪く言えば非常にドライで第三者的。

別に市長の座にしがみつく必要性もなく、別に市長なんていつでもやめてもいい、とも考えているようにも見え、だから市の状況や議会の状態を自分の利害に左右されず非常に客観的にとらえられるのでしょう。

(いつでも職を変えられるので地域に生活基盤を持ってるわけではない。そこに永住するわけではないのでご近所さんなど地域住民の目が気にならない、というのが強みですよね)

議論の仕方も客観的で、見方によっては冷たく見える場面も多いと思いますが、市長は単に実りある議論をして少しでも良い方向に持っていきたいだけ。

議員は一部の議員を除きとても日本人的で、何か言われたらそれイコール自分を否定されたという受け止め方をする場合が多いように見えたりして、議論とは何か、批判とは何か、という根本的なところの意識改革が出来ない限り、議会や議員の混沌とした状況は続くのでしょう。

安芸高田市議会の切り取り動画、市や議員のYoutube動画のコメントを見ても、「これは安芸高田市に限らず、日本の地方自治の縮図に見える」という意見をたまに見ますが、日本の地方自治はもとより、会社、企業内などでも同じことが言えるようにも感じます。

人口減少が不可避な状態で、それでも踏ん張り成長を遂げるには、ちょっと意地悪な感じですが安芸高田市議会の様子をそれぞれが自分の置かれた環境に当てはめて見てみるとどうなるか、それを考えるのも石丸市長の望んでいるところなのかもしれません。

議会だよりの問題は、もう面倒だから市の広報と1つにまとめれば?そうすれば費用削減にもなるだろうし、一石二鳥だと思うんですけどね。

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