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広瀬隆雄(じっちゃま)WIKIまとめ!資産や経歴も詳しく

日本や米国の証券会社で働き、
米国株や投資に詳しい「じっちゃま」こと、広瀬隆雄さん

活躍目覚ましいですが、本当はどんな方かプロフィールや経歴が気になりますし資産はどれほど?なんてこともすごく気になります。

「じっちゃま」こと広瀬隆雄さんについて、
年齢や出身、学歴から、経歴や資産までWIKIプロフィール風にまとめてみました!

投資家 関連)
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広瀬隆雄のWIKIプロフィール

では早速「じっちゃま」こと
広瀬隆雄さんのプロフィールをWIKI風に見ていきましょう。

  • 本名:広瀬 隆雄(ひろせ たかお)
  • ニックネーム:じっちゃま
  • 生年月日:1959年11月11日
  • 年齢:64歳(2024年2月現在)
  • 出身地:広島県
  • 出身高校:岐阜県立 大垣北高校
  • 出身大学:慶應大学 法学部 政治学科

お名前について

広瀬隆雄さん、ニックネームは「じっちゃま」です。

可愛らしいニックネームですが、
由来について調べたところこんなポストが。

なんとフォロワーの方から「棺桶に半分足を突っ込んでいる」とか言われたり「死相が出てる」(ひどい(笑))とか言われたりで、そこから自然と「じっちゃま」と呼ばれるようになったようです。

まだ60歳前半の時に
「じっちゃま」と呼ばれ始めていたことになりますね。^-^;)

おじいちゃんと言うより、考えが落ち着いていたり達観していたり、そう言ったところが人間性に現れていて自然と「じっちゃま」と呼ばれるようになったのかな、と思います。

誕生日と年齢について

広瀬隆雄さんの生年月日は「1959年11月11日」

過去にワクチン接種時の摂取証明のようなものをX(ツイッター)でアップされ、そこに「date of birth 11/11/1959」と記載がありますね。

いやいや、堂々と出されてますね。^-^;)

誕生日は1が並んで凄く覚えやすいですが、
(確かポッキーの日だったかな?)
年齢は生年月日からすると2024年2月現在で64歳
(11月の誕生日が来ると65歳になりますね)

出身について

広瀬隆雄さんの出身地は広島県

Xの投稿でもしっかり「広島県」とお話しされてます。

高校は岐阜なので、あれ?と思いましたが、
どうやら父親の仕事の都合で西日本を転々とされたようです。

お父様はボイラーなどの技師で、帝人(化学工業の大会社)やセコム(セキュリティ系の大手)にお勤めだったようです。

広瀬さんは、広島県三原市、愛媛県今治市、山口県岩国市、大阪府高槻市、岐阜県大垣市などに住んでいたことがあるようですが、お父さまがお勤めだった帝人もセコムも日本全国で活躍している会社なので、工場立ち上げなどのプロジェクトで地域を移動していた、なんて考えられそうですね。

また母親は栄養士や経済新聞の記者をされていたようですが、広瀬隆雄さんはご両親の言うことと「いつも反対のことをしていた」のだとか(笑)

ただ、大学生に母親から言われた、

「英語ぐらい、やっておけ」

の言葉が、その後の広瀬さんの運命を
大きく変えることになるのでした。

(これは後程経歴のところで詳しく)

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高校や大学について

広瀬隆雄の出身高校は「大垣北高校」のようですね。

広島県出身の広瀬隆雄さんですが、
父親の仕事の関係で高校は岐阜の「大垣北高校」。

ちなみに、小学校は「安井小学校」(多分岐阜の大垣)、中学は「赤坂中学」(東京ではなくこちらも多分岐阜の大垣)。

こうしてみると、
高校までは岐阜が一番長くいた場所になるかもしれません。

そして大学は慶應義塾大学(政治学科)

大垣北高校は(2023年では)偏差値67の進学校。そこから慶應へと進まれたようです。

大学では相当遊んでいて、
卒業できるのか?!という危機もあったのだとか(笑)

大学時代についても
以下の大学卒業後の経歴で、もう少し詳しく見てみましょう。

広瀬隆雄の経歴は?

では大学卒業後はどんな道に進んだのか、
広瀬隆雄さんの経歴を見てみましょう。

  • 1982年:慶應大学法学部政治学科卒業
  • 1982年:建築会社(青木建築)に入社
    1983年:プラント輸出のコンサル会社に転職。中東へ。
  • 1986年:三洋証券株式会社入社
  • (1987年:ご結婚)
  • 1988年:S.Gウォーバーグ証券会社(現UBS証券)
  • 1996年:ハンブレクト&クィスト証券会社(現J.P.モルガン証券入社)
  • 2003年:投資顧問会社・コンテクスチュアル・インベストメンツLLCを設立 マネージングディレクターとして活躍。

慶應大学時代はバンド(PUNKバンドなのだ)をやったり女の子を追いかけるのに夢中で(笑)「卒業できるか、落第するか?」といった状況。

就職を考えられなかったようですね。^-^;)

そこで、ゼミの先輩から「オレの会社に来い!」と言われて建築会社に就職(青木建築)。その時のことは「天から命綱がスルスル降りてきた」と言い表したりしています。

でもいざ入ってみると、建築会社での仕事は帳簿を付けたり、朝5時に起きて職人さんのコーヒーカップを洗う等の雑用だったりと、

「自分は仕事を知らないしまったく使い物にならない」

と考えるようになり転職を目指します。

そこで広瀬さんは「自分に付加価値をつける、もっとも手っ取り早い方法」として英会話を学び始めるんですね。

お金がなく、英会話学校に通えないので教会が半ば布教活動の一環として運営しているような英会話学校に、現場の仕事が終わった後に通っていたそうです。

ここで英会話に目に付けたのは、
遊んでいた大学時代に母親から

「あんた、英語ぐらいはやっときなさい!」

と英語スクールに通った経験があり、
その経験がここにきて「これだ!とひらめいた」感じだったようです。

英会話を頑張った広瀬さん。

建設会社をすぐ退職し、
英語力を活かしてプラント輸出のコンサル会社に転職。

すぐ中東(クウェート)に行くことになります。

(この時、広瀬隆雄さん23歳)

でも80年代半ばになると原油価格が下り、
プラントの商談は激減。

株式ブームが来たので、
今度は証券会社(三洋証券)に転職という道を選びます。

三洋証券に転職した1年後、
英語力を武器に広瀬さんはNYの投資銀行へと転職、と忙しいですが、この頃は日本株がバブルの時代。

世界の金融機関が日本人を必要としていたようで、

「運が回ってきた!」

と広瀬さんは感じたそうですね。

ちなみにNYの銀行へ転職した時のエピソードがありますが、これが何かアメリカらしいというか、なんというか。

前任者からの引継ぎはなし!

日本なら、後任者がいない場合には上司なり同僚や部下にとりあえず引継ぎをするものですが、広瀬さんの場合には「後任者が来ても引継ぎなし」(笑)

その理由が、

「おまえのせいで俺が首になった」
「なんであんたに引継ぎする必要があるの?」

という、言われてみれば、まぁ確かにね、
という感じもしそうです。

S.Gウォーバーグ証券会社(現UBS証券会社)、そしてハンブレクト&クィスト証券会社(現J.P.モルガン証券)を経て、投資顧問会社・コンテクスチュアル・インベストメンツLLCを設立

現在はマネージングディレクター(業務執行取締役)となっています。

参考)
LLC コンテクスチュアル・インベストメンツLLC

今は投資の世界で活躍していて投資の情報サイトに記事の投稿も行ってたり、楽天証券「トウシル」に連載を持っています。

広瀬 隆雄 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

またnoteにて有料で投資情報も発信されてますね。

Market Hack Magazine|広瀬隆雄|note

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広瀬隆雄の資産は?

これだけ投資の世界で活躍している広瀬さん、
資産がどのぐらいあるのかも凄く気になるところ。

実際、いろいろ調べてみると、
資産額は特に公開されているわけではないようです。

(まぁ、それはそうですよね)

広瀬さんは上で見た経歴から、多くの転職をされてます。

その哲学には
「前職より給料が最低でも50%ぐらい上がる」転職をする、があります。

広瀬さんは、大学卒業して、建築会社(青木建築)に入社。

そこから分かるだけで4回転職し、その後、投資顧問会社を設立。

転職を繰り返す中で(最低でも)1.5倍づつ給料が上がるとすると、4回で最初に比べて(最低)5倍ぐらいはなっている給料となります。

最初の建築会社が大卒の新卒で、仮に年収300万からスタートしたとしたらですが、普通に計算すると最後の方は最低でも年収1千5百万。

ただこれは一般企業を基準で考えた場合のお話し。

広瀬さんの場合、給料が高額と言われる金融系企業を渡り歩き、ヘッドハントされての転職があることから、最後の方は年収も最低2千万は普通にありそうだす。

またそれ以上に稼ぐということで今の投資顧問会社を設立したとすると、現在は最低でも年収5千万は普通に稼いでいることになるのかも。

年収は毎年全てを使い切る、なんてことは普通はないので(笑)、積もり積もって資産は億越えというのは普通にありそうですね。

そして、いろいろ活動してますが、
収入源としては全部で8つほどあるようです。

8つあるうちのメインが、やはり経験豊富な株投資。

ただここでちょっと意外というのが、
「株だけで生計を立てようとするとムリなトレードになる」というところ。

広瀬さんの投資は、一般の人が考える額よりも桁が一桁、二桁は上のレベルで行ってるでしょうし、そうした中でムリなトレードをして損失が大きくなると生活にも影響が出る、ということをおっしゃっているようです。

実際広瀬さんも、
投資では負けることがあることもお話しされてますね。

100%儲かる投資というのはあり得ないし、
資産総額は仮に億越えだとしても、上で見たように、資産はできるだけ分散させて(8つぐらいに分けて)収入源として安定化を図っている、という感じになるのでしょう。

ただ広瀬さん、
実は奥様が資産をキッチリ把握して厳しい目を光らせてるようです。

奥様、ちょっとした資金の動きにすぐ指摘が入るのは流石ですね。^-^;)それ以上にその日負けてると「あんた、今日、負けているでしょ」との突込みがあるのだとか。

この鋭い奥様は以下の方になるようです。

広瀬隆雄さん、若い!
(28歳ぐらいかな?)

奥様、海外の方ですね。ドレスが凄く似合う綺麗な方。

(でも強力なセンサーを持ち、広瀬さんのちょっとした行動も見逃さない(笑))

ちなみに、広瀬さんのご一家は、奥様やお子様たちを含めると、全部で6つの証券口座をお持ちなのだとか。(全米株式型)

まとめ

じっちゃまのニックネームで投資の世界で活躍されている広瀬隆雄さん。

2024年2月現在64歳。広島出身ですが、お父様の仕事の関係で色々場所を移してますね。

大学は慶應義塾大学(政治学部)で、卒業後は英語力を武器に金融関係の会社に転職を繰り返し、今では投資顧問会社を設立してマネージングディレクターとして活躍。

資産は公開されておらず、普通に億は持っていると推測しましたが、収入のメインは株投資。でも損をすることも当然あることから8つの収入口を持ち安定化を図っているようです。

奥様、写真を拝見すると、すごく綺麗な方ですよね。

その方が「あんた!今日負けてるでしょ!」と言ってるところがちょっと想像できませんが、でも実際言ってるところ見てみたい気もします(笑)

年齢を重ねても衰えない広瀬隆雄さんの活躍、これからもどこまで行くのか見てみたいですね!

(私にもお金の増やし方、教えて欲しい!)

投資家 関連)
箕輪友行の大学はどこ?世田谷の自宅や資産についても調べてみた

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